投稿

4月, 2013の投稿を表示しています

サルスベラズ

イメージ
野生動物との出会いはしばしば緊張感のある刺激的なものとなります。 けさのことです。犬たちが庭に向かってやたらと吠えているので見に行くと、目の前のハナミズキに彼はいました。ニホンザルの雄です。うちの犬も吠えるはずです。文字通り犬猿(けんえん)の仲なのですから。掃き出しのガラス窓を隔てて5メートルほどの距離でしょうか。ずいぶん近くに見えました。私の家は箱根(はこね)の山がなだらかに三島のまちにさしかかるその切れ目のところにあるため、冷静に考えればサルが出没するのは不思議なことではありません。 とりあえずその姿を記録しようとカメラを取りに2階に上がり、再びその窓に戻ってきました。危惧(きぐ)したとおり彼はハナミズキから消えていました。それでも、朝日が庭の芝に映す影で彼が家の上に向かって移動している様子がわかりました。娘も出てきて、二人でそろそろと庭に出てみました。 すでに彼は隣の建築中の家へと移り、その周りを取り囲む足場を登ろうとしていました。するすると登ると最も高い見晴らしのいいところにつかまりました。こちらからは娘と二人で興奮しながら写真を撮影(さつえい)しようとカメラを向けています。すでに距離は15メートルほどあるでしょうか。わいわい言いながらカメラを向けられている彼はそれが気にいらないのでしょう、不機嫌(ふきげん)そうに顔だけこちらに向けて私たちのようすを見ています。 やがて、ポールをつかみ、その足場を激しく揺らしました。自分はちからがあるということを誇示する行為です。ひとしきり思いきり揺らした後で、再びこちらのようすを見ています。まだカメラを向けていると、明らかに気にいらないいらだちが身体からあふれ、そしてからだをほんの少しこちらに向かってひねりました。攻撃してくるのかもしれません。慌てて娘と一緒に家の中に逃げ込んでガラス窓を閉めました。その数秒後、彼は庭の木にざっと音をたててのぼりました。それは冬の間に枝の剪定をして幹だけが残り、そこにようやく若芽が伸び始めているサルスベリの木です。まったくすべっていないのに感心していましたが、そういう私の気持ちも察することなく枝につかまり家の中をにらんでいます。その距離約3メートル、さすがに迫力があります。それでもガラス越しに見ているこちらが気に入らないのでしょう。今度は窓の枠につかまりガラス越しに家

Forget me not

イメージ
1週間ほど前にとても悲しい知らせが届きました。 イギリスのケンブリッジでのポスドク時代にスラニー教授の研究室でテクニシャンをしていたシーラさんが亡くなったのです。 すでに帰国してからかれこれ18年たっています。彼女も少し高齢になっていたでしょう。わたしにとっても遠い思い出になっていますが、それでも訃報(ふほう)を聞いた途端(とたん)に彼女とともに研究室で過ごした楽しい思い出が一気によみがえってきます。 研究室ではだれかれとなく声をかけていろいろと話しをしてくれました。特に私のように外国からきて英語でも苦労しているメンバーにはわかりやすい英語でことさら頻繁(ひんぱん)に話しかけてくれたような気がします。それは彼女なりの気配りとやさしさだったのではないかと思います。 彼女は毎朝みんなのためにコーヒーを入れてくれました。研究室に入るなり自分のマグをもってシーラの入れるコーヒーをもらい、それを口にした後ほとんどの人が「ふーっ」と息を出しながら頭を一振りします。「シーラの5モルのコーヒー」と呼ばれるそれはとても濃いのです。 シーラは研究室で行われる受精卵(じゅせいらん)や初期胚(しょきはい)の操作(そうさ)を一手に担う魔法(まほう)のような手をもった人でした。スラニー教授の研究で行う難しい胚操作の必要な実験も彼女の手により生み出されたものです。誰も彼女の技術(ぎじゅつ)をまねることはできなかったと思います。しばらく彼女についてまわって胚操作の方法を教えてもらったことがあります。「胞胚期胚に3か所からマニピュレーターを使って穴を開けるのはむつかしいのよ」となんだか魔術(まじゅつ)のような操作について話してくれていたのを今でも思い出します。胚を雌親(めすおや)に戻す操作を教えてくれるとき、顕微鏡(けんびきょう)をのぞきながら   今見えてるところに胚をもどすのよ と教えてくれました。覗き込んだ顕微鏡の右目の視野の中には大きな黒いものが中心に見えていました。対物レンズがだめになっているのです。   これじゃあ見えないよ というと、   慣れれば見えるようになるわよ と平気な顔で笑っていました。何から何まで魔法のようでした。 ケンブリッジに渡ってから間もないころの月曜日、シーラが   週末はなにをしたの? と聞いてきました。イギリスでは週末