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ジョナサンは本当にいるのか

海の上で羽いっぱいに風をうけてギリギリまでスピードを落としているカモメを見ることがあります。なぜあんな不思議な飛び方をするのか疑問に思います。同じところにとどまっていたいならどこかつかむことのできる場所に止まっていればいいし、餌を狙っているならもう少し早く飛んでいてもいいはず。まるで羽の先の風切羽の先端にある細い繊維の先までいっぱいに風をとらえようとしているかのようです。おそらく細い繊維の先も風をうけて内側に少しまがっていることでしょう。 こういうカモメの様子をみると中学生の頃に読んだ『カモメのジョナサン』を思い出します。実は、以前触れたように、動物が何かするとき必ずしも目的があって行動を起こすとは限らず、遊びもあるのではないかと思い始めたきっかけの一つはこの本にあります。読み進むにつれて何を言いたいのか難解になってくるこの本を読み、その後半は目をつむりつつも、ジョナサンが飛ぶ技術を極めようとただひたすら飛ぶことに夢中になる最初の部分が妙に納得がいったのです。 当時、いろいろな動物を飼育しながら、その様子をみて感じていた動物の遊びの行動が、このジョナサンの飛行練習とオーバーラップしたのでしょう。そんなこともあり、シジュウカラがセミの抜け殻を執拗に破壊するのも遊びに夢中になっていると感じるし、チェルシーが小麦粉の袋を破壊するのもきっと子犬のような心で遊んでいるとしか思えないのです。 もちろんそれ以来、カモメが飛ぶ姿を見ると、ただ気持ちよく飛ぶために飛んでいる気がするのです。 このリチャード・バックが著して五木寛之が翻訳した不思議なお話し『カモメのジョナサン』は、もともとパート3までの構成で出された話だったのですが、最近、バックが当時書いていたパート4が見つかり、それを含めた構成で再出版されました。それで改めて中学生の頃を思い出しつつ読み直してみました。 このパート4の追加をどう思うか?それにコメントをするのは野暮なので控えておきましょう。 きっと、それぞれ読む人の持っている心で素直に読むのが良さそうです。