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さくら

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わたしたちの研究ではマウスの示す行動の多様性に興味をもっています。特に、野生由来系統が示す行動はさまざまでそれぞれに特徴(とくちょう)があります。今、こうした系統の多様性を活かして、遺伝的にミックスされた集団から特定の行動形質を選抜する実験をしています。詳しくはまた何かの機会にここでも書きたいと思いますが、こうした実験を思いついた理由は世の中にみられる、さまざまな方向に変化した生物の多様性にあるのです。 生物の多様性には驚かされることがたくさんあります。 私の好きな犬をみても同じ種でありながらその犬種の多様さはどうでしょう。子牛のように見えるマスティフから同じ犬には見えない小さなチワワなど大きさにはずいぶん差があります。それに行動も違います。ラブラドールなどは遊び好きで人になれやすい性格ですが、土佐犬やアメリカンピットブルテリアなどのように闘争(とうそう)するために作られてきた犬種(けんしゅ)もあります。あまりにも人はさまざまな犬種を作ってきたためにいろいろな問題を抱えている犬もいます。ミニチュアダックスは胴長(どうなが)につくらているために、背骨(せぼね)の変形が問題になることがありますし、パグは鼻がつぶれた顔が特徴ですがその特徴的(とくちょうてき)な形態のために呼吸障害(こきゅうしょうがい)を起こしている個体も多いようです。パグに関しては、呼吸障害が動物への日常的な負担となって常に苦しんでいる個体が多いため、繁殖(はんしょく)をやめるべきだという意見もあるようです。また、先のアメリカンピットブルなどのような攻撃に特化して選抜された犬種は、あまりにも危険なため、イギリスなどでは飼育が禁止されています。このようにいろいろな問題もあるのですが、ひとによる選抜育種はそれほど多様な生物を作り出すことができるということは驚きです。 少し明るい話題に移ります。遺伝研の構内にはいろいろな種類(しゅるい)のさくらの木が植えられています。これらは故竹中要博士がご在任中に収集されたものですが、亡くなられてほぼ半世紀が過ぎてもまだ多くの人を虜(とりこ)にするそれらさくらの木の魅力は感嘆(かんたん)すべきものがあります。ほぼ200種類の品種が植えられていますが、そのさくらの花の色やかたちはさまざまです。今年はそのさくらの花がいっきに咲き始めて構内はとてもきれいです。散歩(さんぽ...

Anxiety

入り組んだフィヨルドの地形の湾には冷たい海水が静かに音もなく漂(ただよ)っています。あたりは夕暮れをむかえ暗くなりつつある中、湾に面した道路を多くのひとびとがこちらに向かって歩いてきます。歩みは遅く、だれもが重たげに少しずつ静かに足を運びます。ひとびとの顔には豊かな感情はなく、これから起きるかもしれないことに漠然(ばくぜん)と思いをはせながら歩いているのかもしれません。その思いは、まるで歪(ゆが)んでしまった遠くの血の色をした夕焼け空の様子がもっともよく表しているように思えます。 1894年にエドヴァルド・ムンクは「不安」と題する絵画を描きました。彼は「叫び」と題する似たような構図の作品を書いているので、おそらくこちらの方が多くの人にはなじみがあるでしょう。彼自身が幼少期に虚弱(きょじゃく)だったことや母親や姉を結核で亡くしていたことなどから、ムンクは病気や死に対する漠然とした不安を抱いていたと言われています。そのようなことがこの作品にも強く表れているのかもしれません。 不安は、その原因や対象がはっきりしない恐れの感情を表すものです。以前紹介したような私のヘビに対する恐れは対象がはっきりしていますので恐怖といいます。それに対して、特に何を恐れているのかはっきりしないけれどもなんとなく心の中がざわついて毛羽立(けばだ)った感覚になるのを不安というのでしょう。 マウスを用いてこの不安を調べる研究があります。マウスが人のように不安を感じているかということは正確には分からないので、「不安様行動」と言います。以前紹介したオープンフィールドテストもそのような行動実験の一つです。マウスの場合にはムンクのように病や死を恐れるということはないので、むしろどこからか突然なんらかの捕食者(ほしょくしゃ)が出てくることへの恐れを調べることになるでしょう。このような恐れは食物連鎖の上位にいない動物にとっては生存上必須のものです。たとえば、マウスが日中にのんびり外を歩いていればあっという間に猫や猛禽類(もうきんるい)などの捕食者にとらえられてしまうでしょう。それに対して、暗闇(くらやみ)を、しかも大きなものに接するように移動して、捕食者の視覚(しかく)に入らないよう常に気をつけて行動することはより生存のチャンスを高めることにつながります。 しかし人の場合は、世の中で不安に思い始...

目的地に向かって泳ぐ

先日連絡があり知ったのですが、このブログをフランスにいる友人が読んでくれているそうです。うれしい限りです。ただ、難(むつか)しい漢字にはフリガナをつけてくれと要望がきました。場合によってはフリガナをつけますが日本人の人には少しわずらわしいかもしれません。その点ご容赦(ようしゃ)ください。 マウスを用いて学習や記憶(きおく)について調べる行動テストがあります。そもそもマウスがものを覚えるか学習するかということを調べるのは非常に難しいのですが、そういう中で考え出されたテストの一つにモーリス水迷路(みずめいろ)というテストがあります。もともとR.G.M. Morrisという人がラットで空間記憶学習を調べるテストとして考え出したもので、今ではマウスでも学習記憶のテストとして広く用いられています。ただ、私たちのグループではまだこのモーリス水迷路を行ったことはありません。これまでそのテストをする機会がなかったのが理由だと思います。 このテストでは円形のプールに白濁(はくだく)した水を入れます。その水面下にマウスからは見えないようにプラットフォームを一か所に沈めます。プールに入れられたマウスは逃げ場を求めてプールの中を泳ぎます。マウスはでたらめに泳ぎますが、やがて運よく水面下のプラットフォームに足が触れると、その上に足をつきようやく休むことができます。そのあと実験者によって水から出されてケージに戻してもらえます。もちろん制限時間も決めてあり、探索(たんさく)に長くかかりすぎるとマウスは人の手で救い出されます。次の日に同じプールに入れられたマウスは、また泳ぎはじめますが、あちこち泳ぎながらも昨日プラットフォームがあった場所にたどりつくとまた休むことができます。こうして、やがて空間の目じるしをたよりにプラットフォームをめざして泳げば早く休めることを理解するようになります。正常なマウスであれば、日に日にプラットフォームへたどりつくまでの時間が短くなり、またそこへ到達(とうたつ)するまでの軌跡(きせき)も単純になっていきます。このようにして空間学習と記憶の能力を調べることができるのです。 私はあまり肩こりというものを経験したことがなかったのですが、ここ数年は特に冬の寒い時期にひどい肩こりに悩まされています。まるで首の周りの筋肉が固まったようになり、ひどい痛みがあるのです。これ...

巳年に思う

今年は巳年です。ヘビは子供のころから頻繁に目にしてきましたが、今でも突然見ると全身に緊張が走り、一瞬息もとまります。身体がフリーズするのです。それから少したつと、今度は心臓が再びどくどくと高鳴り前よりももっと血液を全身に送ろうとしているのを感じます。いつでも逃げだせるようにからだが準備をするのでしょうか?随分前のことになりますが、以前マウスを飼育していた古い施設の奥には薄暗く使われていない部屋がありました。週末に一人で飼育施設に入り、使われていない部屋に通じる廊下のドアを開けて中をのぞいた後でまたドアを閉めようとしたのですが完全に閉まりません。どうしたのだろうと思ってもう一度ドアを開けると肩にヘビが落ちてきたことがありました。薄暗い廊下でです。これがどれだけ恐ろしいか想像ができるでしょうか? このように多くの人が怖がるヘビですが、かれらは別に大して悪いことをしているわけでもありません。また日本の住宅街で毒蛇のマムシに出会うことはほとんどありませんし、通常目にするのはアオダイショウやシマヘビです。これらのへびはそれほど恐れることもないのですが、なぜ人はヘビを怖がるのでしょうか?もともと人は生まれながらにしてヘビを怖がるという報告もあるそうですが、長い人類の進化の過程でヘビを怖がらざるをえないような経験を繰り返してきたのかもしれません。とても不思議な現象です。 毒蛇はさておき、日本で通常目にするヘビを怖く感じるのはその餌を食べている様子です。餌を丸呑みにする姿は普通のときには無いすごさがあります。でも案外ヘビがそのような餌を丸呑みにする姿をみる機会には出会わないものです。私の自宅の2階の窓には庭の大きなハナミズキの木がまじかに迫っていますが、何年か前にそのハナミズキの中にキジバトが巣を作ったことがあります。春に産卵をして親が抱卵し、やがてひなが生まれて、そのような日に日にひなが育っていく様子を見るのを毎朝楽しみにしていました。ある朝のことです。ひときわ親鳥が騒いでいるのに気がつきました。窓からハナミズキの中の巣をのぞいてみるとそこには大きなアオダイショウがいて、親鳥が少し離れたところから心配そうな声を出しています。アオダイショウの頭の下は大きくふくれてそこにひながはいっているのは一目瞭然です。やがてアオダイショウは枝をこちらに向かって移動してきました。舌を出しな...

おめでたい亀を飼うということ

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ついに2013年になりました。「ついに」といっても2013年が私にとって特別な年ではないので、ただ単に新しい年が明けたという意味での「ついに」です。新年にあたって身の周りに動物に関する何かおめでたいことを象徴するものはないかと思って見渡してもこれといって思い浮かばなかったのですが、一つ見つけました。自宅で飼育している亀です。 このカメはミドリガメ(正しくはミシシッピーアカミミガメ)ですが、すでに8年ほど生きていて随分大きくなりました。いろいろと調べてみると、このミドリガメは30年から40年ほど生きることもあるということなので、まだまだ若い部類に入るのでしょう。「鶴は千年、亀は万年」と中国の言い伝えにあるように、亀は長寿の象徴として親しまれています。「万年」生きると例えられるなんて、やはりおめでたい動物といえます。 カメ子 2013年正月 このめでたい亀ですが、飼育してみてはじめて考えてみたこともあります。 まだ子供が小さかった頃に、ホームセンターのペットコーナーで販売されていたものを子供が欲しがったのであまり深く考えることなく購入しました。小さいにも関わらず元気よく動くさまはぜんまい仕掛けのおもちゃのようでとてもかわいく感じました。2匹購入したものの、1匹はまもなく不幸にも水槽の中の岩の間に挟まりしばらく浮上できなかったようで、気づいた時にはおぼれていて弱った体を回復できず死んでしまいました。それでも他方は順調に成長を続けました。しかし、カメ子と名付けられたそのミドリガメの成長と反比例するように子供の興味も薄れていきました。こどもから「絶対に世話をするから」とせがまれてペットを購入し、やがて世話をしなくなるのは珍しいことではありません。おそらくどの家庭でも似たような経験はあるでしょう。そして世話係は私自身になり、水槽やカメ子の甲羅をたわしでこすり掃除をして水を替えるのは週末の私の仕事となりました。 一年目の冬を家の中で無事に過ごしたカメ子は2年目の春から秋にかけてさらに大きくなりました。2回目の冬は屋外で過ごさせることにしました。この三島は比較的温暖なので野生化したものと同様にミドリガメも冬を越せると思ったのです。季節も秋の11月になってくると朝夕寒い日があり、極端にカメ子の食欲がおちてゆきます。人が近づくと餌をもらえると思い盛んに動き回るの...

ストレスとグルーミング

ここ三島市が数年前に全国的に話題になったことがあります。野生のサルが街中に出没し、人、特に老人や子供を中心に100人以上にかみついたりして襲ったのです。お年寄りや子供を狙って襲うというところがまた手の付けられないところです。 このサルは私の自宅の数件先のお宅でも出没し、そのお宅のご婦人が寝ていて朝気付いたら枕元にいたということですが、又聞きのため真偽のほどは定かではありません。このように町中大騒ぎになったあと、ようやく捕獲されて、さてそのサルをどうするかという話になりました。市民の意見なども聞き、さまざまな意見はもちろんありましたが殺処分はかわいそうという意見も多く、結局市の公園である「楽寿園」内の動物の檻に入れて飼育されることになりました。市が広く市民から名前を募集して「ラッキー」という名前がつけられて公開されたのですが、大騒ぎを引き起こしたサルだけに話題を呼び多くの人が連日ラッキーを見学に来るようになったようです。また、野生から狭い檻の中に入れられたこともラッキーにとっては大きな環境の変化となりました。これらがストレスになったのでしょう、やがて身体の一部に脱毛が見られるようになったようです。そうしてしばらくの間、ラッキーの檻はシートで覆われて非公開となるということがありました。 こうした飼育下の動物が脱毛することは、動物園などでしばしばみられます。狭く変化に欠ける動物園での飼育環境がストレスとなり、必要以上にグルーミングを繰り返すことにより脱毛していくのです。たとえばオウムなどで胸の羽がなくなっていたり、ネコ科の動物でもしつこくグルーミングすることによる脱毛がときに見られます。霊長類では、最初に紹介したラッキーのケースのように、ゴリラやチンパンジーなどさまざまな種でみられます。前回ご紹介したように、グルーミングは動物にとって生存していく上で重要な意味を持つ行動ですが、強いストレスを受けると同じ行動が今度は自分自身に問題を引き起こす要因になってしまうのです。 旭川市の旭山動物園で、動物そのものが持つ生態や行動の特徴を引き出すような環境を作り、そういう行動そのものを来園者に観察してもらう「行動展示」という試みを始めたところ、動物も生き生きとし始めて、来園者も大喜びするようになったということが知られています。その後、他の多くの動物園でもこのような行動展示の...

進化を通して保存された身だしなみ

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マウスはよく身体のグルーミングをします。いわゆる毛づくろいという行動です。彼らは起きていれば、前足をなめながら、頻繁に顔の毛を手入れし、さらに後頭部、特徴的な大きな耳、手の届きにくい背中からおなかの毛というふうに汚れをとっていき、最後にしっぽをきれいに口で整えると出来上がりです。 前足を素早くなめ続ける こうしたグルーミングをすることで毛についた汚れを取ると同時に、毛に分泌物をつけてはっ水をよくしてきれいなつやのある状態を保ちます。実はマウスだけでなくあらゆる動物がグルーミングをします。たとえば顔を洗うと称されるようにネコが顔を前足でこすったり、イヌがしばしば身体をなめたりしています。また、鳥も枝に止まったまま羽をくちばしで細かく手入れしている姿がよくみられます。昆虫のハエでさえ手の掃除に始まり、体や羽の手入れを頻繁に行ないます。私たち人はどうでしょう?髪の毛をしばしば気にしたり、顔や髪の毛をなでつけたり、身体に汚れがつくとしつこくきれいにしたりします。動物はみな汚れることが嫌いでいつもきれいにしていたいものなのです。 動物にとって身体につく汚れは感染症などにかかるリスクを高めることにつながります。そのため、いつも手入れをして身体を清潔に保つことは病気から身を守るために重要なことなのです。また、毛や羽のはっ水処理を行うグルーミングは、雨で毛の表面が濡れた際にも中まで水が浸み込むことを防いだり、羽が水分を吸収することでその重みのために飛翔ができなくなることを防いだりするために必須なのです。当然毛の中まで濡れた動物は体温を失い生死にかかわりますし、羽に雨が浸み込んだ鳥や昆虫は飛ぶことができず濡れた地面に落ちてしまうでしょう。つまり、彼らはグルーミングを生きるために行っているのです。 また、動物はその外見も気にするそうです。大きく健康そうな動物は繁殖のための相手を見つける際に圧倒的に有利です。逆にいうと、汚れてみすぼらしい個体は、病気になりやすかったり餌を確保する能力に欠けていることを暗示するために繁殖相手としては避けられてしまうのです。そのため、繁殖期の動物は特に見栄えを良くするように気をつけるようになります。 人では、あまり近代文明に触れたことのない地域の原住民でさえも、そこで手に入るものを利用してそれなりにきれいに身を飾っています。また、...