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スマホなるものに変えてみた

つい先日、ようやくスマホを購入しました。Xperia Z3です。

スマホが世に出てからずいぶん経ち、すでにスマホの国内シェアは50%を超えていますので、スマホに変えたのは遅すぎるとも言えます。

以前、出張でホテルに宿泊した際に、携帯電話の充電器を忘れてしまいました。フロントに貸し出し用の充電器があると書いてあるので尋ねてみると、「ガラケーの充電器は置いてありません」とのフロントの女性スタッフのつれない返事でした。「ガラケーは差別用語じゃないの?」と内心思いましたが、そこはぐっとこらえてそそくさとコンビニに簡易の充電器を買いに走ったこともありました。

これまであまりスマホは必要ないとも思っていましたが、使い始めてみるとやはり便利です。何より出先で仕事用メールなどの確認が簡単にできます。添付ファイルを開いて確認するのも難しくありません。これまでガラケーでも依存度が高かった新幹線のチケットレス機能も問題なく使えます。カメラの画像も優れているので、デジカメが必要なくなりました。

大画面なので本体が少し大きくて、持ち運びが不便かな?と思っていましたが、胸ポケットに入れて上部が少しはみ出る程度なのでそれほど苦労はしません。思いがけず気に入っているのが電子書籍です。Kindleで試しに太宰治の「人間失格」を読んでみると、片手で苦痛なく読むことができて、文字も読みやすく思います。わたし自身は印刷された本にこだわりがあって、電子書籍は利用したくなかったのですが、少し心がぐらついてきました。

世の中の人たちがLINEで病みつきになっているのがこれまで理解できませんでしたが、これも使ってみるとなかなか面白いものです。即座にリアルタイムでやりとりできるのは新しいコミュニケーションの仕方です。「襖を隔てて隣の部屋の人と会話している」ような感じでしょうか。電子メールとはコンセプトから違って、したがって使い方も異なります。

このブログもスマホからアップできるのでしょうが、今日はまだノートパソコンで入力しています。そういうところはまだ古風です。もう少し使いなれてきたら、スマホからの入力も試してみるかもしれません。

これで充電器を忘れても、ホテルのフロントで「充電器を貸してください」と胸をはってはっきりと言えるようになりました。

いたずら

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我が家の愛犬、チェルシーのいたずらが最近止まりません。

子犬はものを破壊したり汚したりするものですが、だんだん成犬になるに従いいたずらも減ってくるものです。チェルシーの場合も子犬のころスリッパを破壊したり、机の脚を噛んだりなど、かなりのいたずらをしたものですが、最近はそれも減っていました。もう10歳を超えるのですから当たり前ともいえます。しかし、時々物の破壊癖がよびさまされることがあるようです。


これまでにも、木でできた置物を噛んで壊したり、さまざまなものを破壊してきました。大切なものを破壊されないように、犬用のおもちゃをあてがいます。通常は少し工夫をするといたずらもやめるのですが、ここのところ続くいたずらには代わりのおもちゃでも効果はあまりなく、どうもそれではお気に召さないようです。

先日は台所から小麦粉を袋ごとリビングに持ち出し、カーペットの上で小麦粉をまき散らかしていました。ずいぶん前にも一度やったことがありますが、部屋の中はまるで映画のベートーベンのような有様です。チェルシーとリーズの2頭いますが、鼻の頭にこびりついた小麦粉から、どちらの仕業か疑いの余地がありません。

それ以外にも古紙回収用にまとめてとっている菓子などの包装紙をわざわざリビングに持ち出して無残に破壊しつくしてしまいました。先日はご丁寧に2階から絵本をとってきて、やはりリビングで破壊していました。それ以外にも木でできた工芸細工のパズルを持ち出して来たり、蠟燭をもってきて破壊したりなどやりたい放題です。先日娘が深夜に台所の照明をつけると、暗闇の中でチェルシーが包装紙の束をじっと見ていたそうです。あわててそこから逃げて行ったそうですが、何かやましいことでもあったのでしょうか?

昨日は少し外出してから家に帰ると、ビニール袋などとともに買い置きしていた詰め替え用インスタントコーヒーの容器がリビングに転がっていました。外側の印刷された光沢紙だけ薄く剥ぎ取る高度な作業をしていました。なかなか器用なものです。


動物には遊びがあるのかと思うことがよくあります。もちろんチェルシーもくわえおもちゃを持ってきては遊んでくれと要求します。投げては取ってこさせることをしばらく繰り返すとやがて満足します。この物を取りに行ったり空中でキャッチする遊びは、何か仕事を要求しているとも言えますが、むしろただ単に狩りをまねた遊び…

クマバチの飛翔

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庭の藤の花が満開です。

今年は開花し始めてから気温が下がり、肌寒い日が続いたため、満開になるまでにずいぶん日数がかかりました。藤は満開になるとすぐに散りはじめて花が終わるまでの期間が短いので、こうして長く開花途中の花を見れたのはありがたいのかもしれません。近くを通りかかる人も、藤の花を眺めて時々声をかけてくれます。

さて、この時期、藤の花はもちろん美しいのですが、私の楽しみは別にあります。花の蜜を集めにくるクマバチです。朝になると藤の花の周囲がブーンという羽音でうるさいほどです。見るとクマバチが円いからだをホバリングで空中で停止させて、方向をうかがっています。蜜のたくさんある場所を探しているのでしょうか?それとも雄が雌を探しているのでしょうか?クマバチはかつて、そのあまりにも重たいからだゆえに、それを飛翔させることは航空力学的に不可能だといわれていたそうです。ほかの蜂に比べると確かに不思議ですが、私にはカブトムシが飛ぶことのほうが不思議な気がします。クマバチはホバリングで停止しながら周囲を見るために急に方向を変えます。その方向の変え方が何とも言えず愛らしいのです。大きな目をあたかもきょろきょろさせているように、くるっ、くるっ、と素早く方向を変えます。時々他の個体に向かって急に突進して空中で他の個体と並んでホバリングしたりします。

このクマバチは、圧倒的な存在感のあるからだをしていますが、人に襲いかかることはありません。巣が危険にさらされると雌が刺すことはあるそうですが、それでもスズメバチのような危険なものではないそうです。クマバチは忙しそうに、観察している私の姿もお構いなく藤の花から花へと飛び回り花にぶら下がって蜜をすいます。その藤の花の形は、ちょうどクマバチが口を差し込むとはなびらの根本がぴったりくっつくような形状をしています。さぞかし花粉を媒介するにはいいハチなのでしょう。


クマバチはただひたすら蜜を吸っては別の花に移り、また吸っては別の花に移るということを繰り返します。休む暇もなく飛び回る様子を見ているとクマバチはとても働き者なようです。ところが、その騒がしい羽音も、午後になると途端に静かになります。午前中はずいぶん騒がしいのですが、どうしたことなのでしょう。夜の間にたまった蜜をたくさんのクマバチが吸い取ってなくなってしまうのか、それとも午前中のハードワーク…

調和と自由について考える

動物の中には高度に調和(ちょうわ)した行動をするものがいます。たとえばイワシの群れで泳ぐ様子は圧巻(あっかん)で、その群れ全体が膨(ふく)らんだり縮んだり細くなったり太くなったり、さらには右に左に方向を変えるさまは、闇夜(やみよ)を飛び回るディメンターのようです。捕食(ほしょく)をしようと近づいた大型のサメなどがこのイワシの集団をうまく攻撃できないのもわかる気がします。また、ムクドリの大群も夕暮れの空に飛び回ることがあります。これほど高度に調和した行動でなくても動物はその社会の中にあってそれなりに調和した行動を示します。ニホンザルが群れで行動し、その群れの秩序を乱す個体がボスザルに群れを追い出される例も知られています。

このように、動物はそれぞれの生活する社会に応じて調和した行動を示します。それは、調和を守ることが生存か死に直結する大きな問題だからでしょう。群れを外れたイワシは容易にマグロなどの捕食者につかまり食べられてしまいますし、離れて飛ぶムクドリは猛禽類(もうきんるい)の餌食(えじき)となりかねません。先ほどのニホンザルの群れなどの例では、もっと行動に自由があります。多少群れと離れて行動しようが、多少おかしな行動をしようが、特に問題は生じないでしょう。しかし、それでも自由すぎて群れ社会の中で受け入れられない行動をとると先ほどのように自身にも群れにも害が生じて、追い出される状況になるわけです。このように、社会の中で自身の行動が受け入れられるようにふるまうことは、そこで生きていくための知恵でもあるし、社会が問題なく存続するための仕組みでもあります。

先日、日本の調査捕鯨(ちょうさほげい)が違法であると日本政府がオーストラリア政府に訴えられた訴訟(そしょう)で、国際司法裁判所(ICJ)は、調査捕鯨は科学目的とは言えないとして訴えを認める判決を下しました。2005年から年間最大で1000頭以上の鯨(くじら)を捕獲し、その肉は商業用に利用しているのですから科学目的とは言えないという判決も無理はありません。日本ではマスコミでも日本独自の食文化を守るべきだという記事も目にします。しかし、これには全く説得力がありません。世界ではそれぞれの国にこれまで独自の文化がありました。どれだけ多くの文化が、国際社会の中でそぐわないことで廃れてきたことでしょう。あえて個々の文化を出す必要…

記憶のテストをしている場合か?

マウスを使って記憶能力(きおくのうりょく)を調べるテストは数多く開発されています。中には、乳白色の水を張った円形のプールの中にマウスを入れ、見えないように沈めた足をついて休むためのプラットホームを探すまでの時間を調べるようなテストもあります。空間記憶が正常に働いていれば、テストするたびに水の中のプラットホームを探すまでの時間は短くなるというものです。

もう少し簡単にできるテストにY迷路(めいろ)テストというものがあります。最近私たちの研究室でも試してみました。ちょうど迷路間の角度がいずれも120度になるように設計された3つのアーム部分を持つ迷路です。アームのそれぞれを1番、2番、3番とします。1番のアーム部分にまずマウスを入れて、そこに馴らします。その後2番と3番のアーム部分に自由に行くことができるようにします。マウスは一度探索(たんさく)したアームよりも新しいアームを探索することを好むので、次に2番のアームに入ったマウスをそのあと3番のアームに入ることが多くなります。繰り返し何度も2番のアームに入るようだと、その記憶に何らかの異常が生じているかもしれないというわけです。

記憶といえば、マウスの試験結果をあまり面白がっている場合でもありません。

先日のゴードンカンファレンスからの帰りの飛行機では、カンファレンスに日本から参加されていた方と偶然(ぐうぜん)座席が隣り合せになりました。アメリカの航空会社の飛行機の最後尾の席でした。乗り込んだ際に、長い飛行中にどの映画を見るかという話になりました。あまり面白い映画がリストにないということで意見がほぼ一致していたのですが、私が往路でみた邦画(ほうが)で面白いと思ったものがあることを思い出しました。

「陽だまりの彼女」という映画でしたが、ピュアなストーリーで見終わった後もすがすがしく感じる映画でした。「この映画はなかなか面白かったですよ。帰りにもう一度見てもいいかなと思うくらいです」とすすめてみました。その後彼は、飛行中にその映画を見ていていました。

成田空港に着陸した際に映画の話になり、「陽だまりの彼女 を観ましたよ。途中までですけど2度も見ちゃいました。よかったですね」 

私も気分がよくなり「そうでしょう。なかなかいいですよね」と返事をしました。その後、役者の話になりました。「女優は誰ですか?」と聞くので、「あれは上野樹…

NASAへ

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今日は無事にゴードン・カンファレンスでの発表を終えることができました。多くの人たちが話の内容が面白かったと言ってくれたので、多少のお世辞はあるとしてもそれなりに発表はうまくいったのではないかと思います。

今朝は朝から快晴でした。午前中に発表を終えると、午後はカンファレンスの午後の休憩時間を利用してヒューストンのNASAへの見学に行くことができました。直前に発表も終えているので、こういう場合は気持ちも比較的楽に行くことができます。ガルベストンからマイクロバスで30分程度の運転で到着したNASAは思ったよりも圧倒されるような雰囲気は無く、素朴なたたずまいでそこにありました。


展示施設の中に入るとさまざまな展示がありますが、やはりどこか軽い印象のある展示で、子供が喜びそうな気もします。NASAとしては大人を喜ばすよりも次世代の子供に興味を持ってもらうことのほうがもしかすると重要なのかもしれません。しかし、展示の中でもスペースシャトル頭部の実物を展示しているのはやはり目を引きました。スペースシャトルの表面には黒い耐熱タイルが張ってありますが、スペースシャトルは大気圏突入の際にこのタイルを燃焼させながら再突入してきます。展示してあるシャトルのタイルはその燃焼の跡がはっきりと残り、その大気圏突入の際の燃焼のすさまじさを感じさせてくれます。



展示の中でNASAが関わった宇宙事業を短い映画にまとめたものがありました。マーキュリー計画に始まり、ジェミニ計画、さらに懐かしいアポロ計画などが紹介され、続いてスペースシャトルの紹介もありました。感心したのは、チャレンジャー事故やコロンビアの事故についても、その爆発の映像とともに人々の悲嘆の様子もしっかりと見せていることです。当然のことながら、その後にはお約束のごとくそのような危機的状況にも負けず再び立ち上がる強い米国の様子を見せていました。この演出は映画のロッキーを思い出させる安易な印象も受けましたが、負の遺産にも目を背けずしっかりと見せるさまはやはり米国の逞しさを感じさせます。このような場合、日本でも目を背けず見せることができるでしょうか?私たちも過去の失敗を覆い隠すことなくしっかりと見つめ続ける姿勢を持ちたいものだと改めて思うのでした。

ゴードン・カンファレンスにて

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今、ゴードン・カンファレンスのために米国のガルベストンに来ています。出国したのは先週末の8日で折しも日本では大雪が来ると言われている日でした。当日は、朝から薄く雪が積もり、ちらちらと舞う雪はそのあとの積雪の前触れのようで不気味でした。私の飛行機は4時45分発でしたので、それまで空港の状態はもつかどうか不安でしたが、何とか雪の中を30分遅れで飛び立つことができました。その後の日本は雪で混乱が続いたようなので、飛行機が飛び立つことができたのは幸運だったかもしれません。

ガルベストンはテキサス州のヒューストンの近くですのでヒューストン・インターコンチネンタル空港までの直通で来て、さらにタクシーに約1時間半乗ってようやくガルベストンに到着することができました。大きな都市に来るのと比べると、このような米国のリゾート地に来るのは交通の面でも少し大変です。ホテルはなかなか立派なリゾートホテルですが、目的がカンファレンスでほとんど缶詰状態なので、その良さもあまり味わうことができていない気がします。



このガルベストンはメキシコ湾に面したリゾート地です。来る前に予想していたのは、照り付ける太陽と青い海、冬とは言えどもビーチには人がたくさん遊んでいる様子を予想していましたが、予想とは大きく外れて散々な天気です。連日霧に覆われて海は寒そうにまた重たくホテルの前に横たわっています。これは時代が違えばまさしくカリブ海の方から海賊船が出てきてもおかしくない風景です。それに思ったよりも寒く、衣類の準備が甘すぎたことを痛感しています。ビーチで泳ぐなんてもっての他で、何よりも遊泳禁止の札さえも出ています。



寒い思いをしながら過ごしていますが、今日カンファレンスの4日目になってようやく少し晴れました。まだ空は少しミルクを落としたような濁りをみせていますが、日が照っているのは何よりも救いです。海の様子も少し違って見えます。


さて、このゴードン・カンファレンスは、未発表データについて話すことが原則なので、カンファレンスの内容などについては漏らすことはできないことになっています。そういう意味で、研究者が集まってまさしく旬の研究について議論するという点では真剣で面白いものです。さあ、明日は最終日ですが、私の口頭発表があるので良い議論ができることを期待しています。それと天気も晴れてくれることを願っています。

オックスフォードで思う

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先日、オックスフォードに行ってきました。イギリスに行くのは実に久しぶりのことです。飛行機の乗り継ぎの都合で立ち寄ったことは数年前にありますが、実際の訪問は10年ぶりほどになるかもしれません。今回は、大学院生の学生とともに、オックスフォードのWellcome Trust Center for Human Geneticsで共同研究をするために訪問しました。研究の話はさておき、今日はその際に思ったことを書いてみたくなりました。そういえばブログの更新(こうしん)はずいぶん久しぶりです。

オックスフォードでは訪問先のジョナサン・フリント教授がマートンカレッジのフェローのためのゲストルームを予約してくれましたので、滞在中はそこで宿泊しつつ仕事をしました。マートンカレッジは創立(そうりつ)750年を迎えるということで、それを示す看板(かんばん)も出ていました。750年前というと日本では鎌倉時代(かまくらじだい)でしょうか?気が遠くなるような時間です。私たちが宿泊していた建物が建てられてからどれだけの年数がたったかは定かでありませんが、その古い建物はとても重厚でこれまでにどれほどの著名人を輩出してきたかと考えると気が遠くなりそうです。



朝になり外に出てみると、まだ夜の気配が少し残る中にカレッジの建物が静かにそこに佇んでいました。窓の中には古い図書室が見えます。この朝早くから中では書物を調べている人も見えます。ずいぶん古い図書室です。このマートンカレッジには創立時から存在するオックスフォード最古の図書館があるそうです。この図書室はさすがにそこまで古いものではないでしょうが、それにしても歴史を感じさせるものです。



朝食は、マートンカレッジのフェローが朝食をとる部屋で一緒にとりました。それほど多くのフェローが来るわけではありませんでした。どのような事情でフェローがここで朝食をとるのか、その理由はよくわかりませんが、わずか数名がやってきて各々が簡単にパンやコーヒーなどで朝食を済ませて帰っていくようでした。私たちは朝の挨拶をしながら自分たちの食事を済ませるようにしていました。最後の朝には、韓国人の教授と少し話をしました。時々韓国にも帰ることがあるようですが、ここで数学の教授をしているそうでした。滞在したのはわずかに3日程度で、あまりじっくりと生活できたわけではありません。しかし、やはりそ…