英語によるコミュニケーションの重要性

前回の投稿から随分間が空いてしまいました。少し忙しくなると更新も難しくなるものです。

以前、マウスの雄が雌に対して発する超音波が相手をひきつける効果を持っていることを書きました。この超音波の働きは、しばしば言語のように例えられることがありますが、正確には行動における信号刺激のような働きをしています。実際に研究をしていて、いろいろな国で捕獲された野生マウスに由来する系統を用いてその超音波のパターンを調べてみると確かに系統ごとに特徴のあるパターンが見られます。またそのような特徴の一部が雌の探索行動を引き起こすためのシグナルのような働きをわずかながらも示しているという結果は得られます。しかし、そのような特徴的な超音波の効果はわずかであり言語に相当するような意味のある働きはみられません。

そういう意味で、やはり人の言語は特異な働きをしているのだと言えるでしょう。そもそも私たち人に心があるのは言語があるからだともいえます。仮に言語の概念がなくなったとすると私たちにはさまざまな問題が生じてきます。自分は何者なのか全くわかりませんし、説明づけることもできません。なぜなら他人との関係において私たちは何者かが分かるからです。「親」は、「昔、自分のそばにいてくれて、いると安心できた存在」という認識になります。「友人」は「近くにいる遊び相手」という認識でしょうか?「別れ」は「いつも一緒にいたものが一緒にいなくなるということ」になります。これでは将来の自分や他個体との将来における関係を予想するのはできません。そのため、人特有の豊かな心というものは言語なしではうまれてこないのです。
最近、コミュニケーションツールとしての言語の重要性を改めて感じます。特に、国際性という意味においてです。ここのところ続いている東アジアの近隣諸国との問題も普段のコミュニケーション不足が大きな原因となっているのではないかという気がします。もう少し密にコミュニケーションをとれるとこのような問題もソフトに対応できるのではないかと思います。

研究には世界中で得られた研究成果を土台として行うことが必要になります。また、そこで得られた発見も国際的に発表するということが求められます。そういう意味において、研究には国境はないということも言えます。実際、私たち研究者は外国の研究者と頻繁に情報交換をしたり、海外に出かけていって国際学会で諸外国の研究者に向けて研究成果を発表したりすることが求められます。そのため、英語の重要性が高い職業だと言えます。しかし、最近は英語の重要性はこうした特殊な職業に限ったことではなくなっているように思えるのです。「楽天」という会社の社内公用語が英語になったことが話題になりましたが、会社における英語の重要性は年々増しているのではないかと思います。これまで大企業や商社など一部の会社で英語が重視されてきたのでしょうが、製造業などをはじめとした中小企業でもこのグローバル化の流れの中で英語でのやり取りは避けられないでしょう。農業などでも海外市場を視野に入れて活動している人もいるようですから、おそらくどのような職業でも今まで以上の英語コミュニケーション能力が求められているように思うのです。その一方で小学校や中学校などの子供たちの英語教育の内容は遅々として変化が見られません。本来は英語によるコミュニケーション能力を習得することが求められるのに、実際にはまだテストにより成績をつけるための科目の一つという位置づけのような気がします。世界の情勢は大きく転換しているのですから、学校における英語教育も早く見直した方がいいのではないかと思うのです。

このブログの人気の投稿

辛さを感じるネズミと感じないネズミ

進化を通して保存された身だしなみ

脳の働きをまもる