Forget me not

1週間ほど前にとても悲しい知らせが届きました。

イギリスのケンブリッジでのポスドク時代にスラニー教授の研究室でテクニシャンをしていたシーラさんが亡くなったのです。

すでに帰国してからかれこれ18年たっています。彼女も少し高齢になっていたでしょう。わたしにとっても遠い思い出になっていますが、それでも訃報(ふほう)を聞いた途端(とたん)に彼女とともに研究室で過ごした楽しい思い出が一気によみがえってきます。

研究室ではだれかれとなく声をかけていろいろと話しをしてくれました。特に私のように外国からきて英語でも苦労しているメンバーにはわかりやすい英語でことさら頻繁(ひんぱん)に話しかけてくれたような気がします。それは彼女なりの気配りとやさしさだったのではないかと思います。

彼女は毎朝みんなのためにコーヒーを入れてくれました。研究室に入るなり自分のマグをもってシーラの入れるコーヒーをもらい、それを口にした後ほとんどの人が「ふーっ」と息を出しながら頭を一振りします。「シーラの5モルのコーヒー」と呼ばれるそれはとても濃いのです。

シーラは研究室で行われる受精卵(じゅせいらん)や初期胚(しょきはい)の操作(そうさ)を一手に担う魔法(まほう)のような手をもった人でした。スラニー教授の研究で行う難しい胚操作の必要な実験も彼女の手により生み出されたものです。誰も彼女の技術(ぎじゅつ)をまねることはできなかったと思います。しばらく彼女についてまわって胚操作の方法を教えてもらったことがあります。「胞胚期胚に3か所からマニピュレーターを使って穴を開けるのはむつかしいのよ」となんだか魔術(まじゅつ)のような操作について話してくれていたのを今でも思い出します。胚を雌親(めすおや)に戻す操作を教えてくれるとき、顕微鏡(けんびきょう)をのぞきながら
  今見えてるところに胚をもどすのよ
と教えてくれました。覗き込んだ顕微鏡の右目の視野の中には大きな黒いものが中心に見えていました。対物レンズがだめになっているのです。
  これじゃあ見えないよ
というと、
  慣れれば見えるようになるわよ
と平気な顔で笑っていました。何から何まで魔法のようでした。

ケンブリッジに渡ってから間もないころの月曜日、シーラが
  週末はなにをしたの?
と聞いてきました。イギリスでは週末に何をしたか話題にすることが多いのです。
ちょっと思い出してから
  このあたりを散歩していたよ
と答えると、
  それはよかったわね 何かいいものはあった?
  そうだね。とてもきれいな花を見つけたよ
  なんていう花なの?
  うーん、名前は知らないけどとても小さくて、でもきれいな花だよ 花びらが濃いあざやかな青でね、真ん中が黄色い色だったと思うな たくさん咲いてたよ

といいながら、思い出しつつノートの片隅(かたすみ)に下手(へた)なスケッチをしました。


  それは 'forget me not' よ
  Forget ・ me ・ not ? これが花の名前なの? まるでシェイクスピア劇に出てくるような名前だね
  そう、古い言葉なのよ
といいながらスケッチの下にシーラの独特な美しい字体で名前を書いてくれました。
そのスケッチは大切に日本に持ちかえっていたはずなのですが、どうしても今は見つかりません。

でもあなたのことはけっして忘れませんよ シーラ。
本当にありがとう。


                2013年4月 満開のワスレナグサをみながら

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