ニワトリでよみがえるはるか昔の記憶

私がまだ小学生の頃の記憶です。実家の庭の一角に鶏小屋をつくり、いつも5羽6羽のニワトリを飼っていました。小学校に上がる前にはすでに父親がニワトリを飼っていたと思います。わたしがまだずいぶん幼かったと思いますが、その時の雄のニワトリはどうしても触ることができませんでした。ごく普通の野鶏(やけい)のようなニワトリでしたが、金網を触ろうものなら手はつつかれ、金網に蹴りを入れてきます。近所の幼馴染(おさななじみ)はつつかれて手から血を出したこともありました。幼心にあまりにも怖くて、しかも痛い思いをずいぶんしたので近づくことさえできませんでした。いまだに私にとって最強のニワトリです。その最強のニワトリはやがていなくなりましたが、どのようにいなくなったのか、もう記憶にさえありません。

その後、飼っているものが比較的おとなしいニワトリになってから、自分で面倒を見るようになりました。それでもニワトリににらまれるとずっと怖さがつきまとっていました。最強のニワトリにつつかれたトラウマです。夜は鶏小屋に入れますが、昼間人がいる時は庭の畑で自由に遊ばせておきます。ニワトリは飛ばないと思う方も多いでしょうが、外で飼育していると結構飛ぶことができるようになります。中には平屋の実家の屋根にいつも上がっているニワトリもいました。

ニワトリの飼育のだいご味は繁殖でした。春先に産んだ卵を抱えるようになると、ひなが生まれてくるのが待ち遠しくなります。学校から帰ってはとり小屋の中をのぞいて様子をみます。毎日覗いていてもなかなかひなは生まれません。しかし、それでもやがて巣の中からひなのか細い笛のような声が聞こえてきます。覗いていると座り込んでいる親鳥のはねの間からひなが顔を出すのがみえています。これがニワトリを飼育しているときの最高の瞬間でした。

先日の1月30日に、広島大学で日本鶏資源開発プロジェクト研究センターと日本型(発)畜産・酪農技術開発センターの合同シンポジウムがあり、「マウスの行動から解き明かす家畜化のしくみ」という題で講演をしてきました。招待してくださったのは都築政起先生でした。都築先生はたくさんのニワトリ品種を維持しておられて、シンポジウムの翌日にはそのセンターでたくさんのニワトリを見学させて頂きました。

長年にわたって人が開発してきたニワトリは面白いものです。長鳴鶏(ながなきどり)に尾長鶏(おながどり)、羽に美しいパターンがあるものなど様々です。

シーブライトバンタム

中でも気に入ったのは薩摩鶏(さつまどり)とよばれるもので、闘鶏(とうけい)としての体つきの良さに加えて、近くで観察している私に身体の横をみせて地面の砂を後方に蹴散らす挑発的な態度も好感が持てます。しつこく写真を撮影しているとそのうちになれてきたようです。下の写真の雄は羽の色も美しくずっと見とれていると、都築先生が「ずいぶん気に入ってますね」とおっしゃっていました。

薩摩鶏

いろいろと見学させてもらいながら、昔ニワトリを飼育していた記憶が懐かしくよみがえってきました。中でも一番夢中に飼育していたのは「ちび」と呼ばれる小シャモです。都築先生のところにも軍鶏(シャモ)がたくさんいましたが、大シャモは身体が大きく、縦に伸びているのに対して、ちびの雄は太い足に力強い上半身を持ち、低い姿勢に肩をいからせた姿は完璧ともいえる美しさで、私は大好きでした。自宅で飼育していた雄は特に美しく、しかも強そうで、雌4羽程度をたばねていつも庭を自由に歩き回っていました。ただ、ちびは飛ぶには身体が重すぎました。

ある時、ちびを庭に放したまま少し家を空けたことがありました。その時、野犬に襲われたのか、留守の間にちびがすべていなくなっていました。近所をずいぶん探したのですが、どこにも見つかりませんでした。その時私は、「あの美しい雄はきっと雌を守るために野犬と勇敢に闘って死んだんだろう」とあきらめたのです。

しかし数日後、なんとその雄だけがひょっこりと帰ってきましたが、雌はついにかえってきませんでした。なぜだか子供心にその雄が小さく見えてしまいました。

たくさんのニワトリを自宅で飼育して、その卵もずいぶん食べました。でも自宅で飼育していたニワトリを食べるということは一度も思ったことがありませんでした。最近シャモの肉が食べられる店も増えています。都築先生によると小シャモの肉もおいしいのだそうです。まだまだニワトリは知られていない価値があるのかもしれないと思いながら三島に帰ってきました。

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