社会から隔離されるということ

前回は社会性について触れました。私があたかも社会性が無いように書きましたが、実はそうでもないのです。

マウスは社会的な集団で生活する動物です。つまり、個体ごとにばらばらで生活するのではなく、親や子供で集団をつくり生活をします。そのため、社会的な関係は個体の生存の上で重要な要素になります。実験用に飼育されているマウスは、自ら社会的な集団をどのような構成にするか決めることはできません。その代わり、通常生まれた同腹の兄弟を一緒にして飼育するようにします。そういう社会的な関係を保って飼育することで、マウスとしての行動を維持することができると考えられているのです。一方、マウスの個体を個別に飼育ケージに入れて飼育すると行動にさまざまな影響を及ぼすと言われています。マウスを1個体ずつ飼育ケージに入れてしばらく飼育します。そうすると、不安様行動がより強くなったり、オスの攻撃行動が増えることがなどが報告されているのです。

私がイギリスのケンブリッジに留学中に最初のクリスマスを迎えたときのことです。その時点で、研究室の人たちがどのようにしてクリスマス休暇を過ごすのか全く知りませんでした。クリスマスも近づいてきた頃、両親も家族も皆ケンブリッジに住んでいるポスドク仲間にどのようにクリスマス休暇を過ごすのか聞いてみました。

T: アン、ここでは皆どういう風にクリスマス休暇を過ごすんだい?長く休んだりするの?
A: うーん、いつもクリスマスの前後で数日休むけど、そのあとは研究室に出てきたり仕事をしたりするわよ。
T: そうか。その程度か。

ということで、特に予定も立てずにケンブリッジで普通に過ごすことにしたのです。その時は、イギリスでのクリスマスの様子を見たいという気持ちもありました。だんだん近づいてくると、他の友人が「クリスマスの予定はあるのか?」と聞いてきました。
「いや、何もないよ」
と答えると、
「じゃあ、うちに来るかい?」
と誘ってくれました。でも、「クリスマスの前後数日程度なら普通に過ごしていればいいや」と思い断ったのです。なによりも彼に迷惑がかかるような気もしました。彼が少し心配そうな様子をしていたのが少し気になったのですが、私自身はなにも心配していませんでした。

やがてクリスマス休暇の季節になりました。12月20日頃から研究室のメンバーが一人、また一人とそれぞれの母国や実家へと帰っていきました。研究室では、休暇をとることは皆に伝えますが、いつまで休暇をとるのかあまりはっきりと言いません。私は毎日のように、研究室でメンバーが休暇でいなくなるのを見送る役目です。
「じゃあ、良いクリスマス休暇を!」
「君もな」
何人のメンバーをこうして送り出したことでしょう。
やがて22日には最後のメンバーを送り出し、そして研究室には誰もいなくなりました。23日には研究所内全体が全くの空っぽになりました。鍵をもっているので、研究室には自由に出入りができるのですが、とても不思議な感じがします。だれもいない研究室で、ラジオや音楽テープを大音量でかけて実験をしたりして過ごしていました。

アメリカほどではないでしょうが、イギリスでもクリスマスの頃はいたるところに美しい飾り付けがされます。家々の窓には色あでやかに飾り付けがされ、道路を歩いていてもとてもきれいです。
25日には街中に大きな変化がありました。町中のありとあらゆる店が閉まっているのです。よく行くスーパー、サンドイッチをよく買っている店、本屋、新聞などを売る雑貨屋、ありとあらゆる店です。それと同時に、街中からは人が全く消えてしまいました。ケンブリッジは学生の町ですが、イギリスきっての観光地の一つでもあります。そのため、カレッジと呼ばれる大学が集中する街中から観光客が消えることはまずありません。しかし、そのような観光客さえも全くいなくなり、まるでゴーストタウンのようになってしまったのです。

無人のTrinity Street (貴重な風景かもしれません)

26日にも状況は全く同じでした。日中に街中をあるいてみました。町はイギリス特有の霧がうすく立ち込め、それが静寂感をより一層強くしていました。メインストリートともいえるトリニティーストリートでは、だれもいなくなった店のショーウィンドーをイルミネーションだけがむなしく照らしていました。街の中心にあるマーケットスクエアを歩いても誰ともすれ違うことはありませんでした。食料はフラットと呼ばれる自分の住居の冷蔵庫に多少は買い置きがあります。そのため特に不都合はないのですが、それでも日常的に買いたいものもあります。たとえば牛乳やミネラルウォーターなどです。そうしたものも全く購入することができなくなりました。もう街中を歩くのをあきらめた私は、研究室で少し実験などをしていました。研究室に流れる音楽やラジオの音を大きくしても不思議と静寂感は消えないものです。自宅に帰りテレビをつけてもたいして面白い番組はやっていません。結局、音楽をかけて本を読んだりしながら時間を過ごすだけでした。

27日にも状況はほとんど変わりありません。その代り、街中で営業をしている商店がほんの少しですがでてきました。雑貨屋で新聞や飲み物を買う時だけそのやり取りのための会話をしました。23日から人とは会話をしていませんから、数日ぶりに人と言葉を交わしたことになります。でもこうした会話は事務的なもので社会的なコミュニケーションとは言えないものです。そして買い物が終わるとまた静寂の街へと戻っていったのです。

28日には徐々にですが街に人が増えてきました。でも相変わらず研究所は無人のままです。研究室では音楽を流しながら実験を続けました。毎日毎日、人とは言葉を交わさず実験をする毎日でした。結局、研究室に人が戻ってきたのは1月2日頃からです。1月4日に例のポスドク仲間が研究室に戻ってきました。「きみの数日は2週間か!」と思わず攻撃的に言いそうになった言葉を無理やり飲み込みました。そのあと、生活していても、心の中の消耗した感じはまだ残りました。こうして、メンバーが研究室に戻ってきてからも、自分がいつもと同じように生活ができるようになるまでしばらく時間がかかったのです。

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