子ザルの写真を見て思うこと

先日、朝刊を見ているととても面白い写真が目に留まりました(朝日新聞7月3日 声欄)。「花園」というタイトルの写真(中塚正春氏撮影 「日本の自然」写真コンテスト)ですが、子ザルがお花畑の中で花にそっと手を添えて花を見ているように見えます。まるで子ザルがその花を愛でているようです。あるいは匂いを楽しんでいるようにも見えます。一瞬を切り取る写真が、たまたま花に手を添えた瞬間の子ザルを撮ることで、子ザルにも花を愛する人のような心があるようにみえてしまうその面白さがこの写真の特徴でもあります。その子ザルは人よりも人っぽく見えてしまうのはこの写真家のうまさによるものかもしれません。

さて、この写真を見た多くの人は、「わっ この子ザルかわいい!まるで人みたい!」と思うことでしょう。あるいは、本当に子ザルには花を愛する心があると思ってしまう人も一部にはいるかもしれません。このような写真の場合、どのように感じるかということは見る人にゆだねられているのだと思います。

ところが、サイエンスの中の話しとなると状況は異なってきます。マウスの行動などを研究していると、そのマウスの振る舞いを人の行動に対応づけたくなる状況にしばしば出会います。しかし、そういう解釈を容易に実験結果に加えて発表してしまうと、ほとんど創作のようになってしまいかねません。私たち研究者は行動を科学的に追求しているという点において、そのような解釈をくわえるためにはそれに必要な十分な検討を加え、さらにそのことを示すための追加実験も加えて発表することが求められます。昨今、インパクトを上げるためだけに容易に擬人化をして発表しているケースも見られます。またマスコミでの取り上げ方もそれを増長させるような取り上げ方が頻繁にみられることも気になります。

一方で、研究者の多くはこのような動物を用いた実験を行いながらもヒトのことをよく知りたいと思いつつ研究をしていることでしょう。私たちはそのような思いは大事にしつつも、冷静に注意深く研究をする必要があるのだと、この子ザルの写真をほほえましく見ながらあらためて思ったのでした。

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