クローン技術

昨日の朝日新聞に、「染色体の分配異常クローン阻む要因」という記事が出ていました。理研のグループによる研究だそうです。体細胞からクローン動物を作製しようとすると、その成功率は2-3%で、ほとんどは発生の初期段階で異常を呈して発生ができなくなります。細胞分裂を開始した体細胞クローン初期胚では、娘細胞への染色体の分配に異常が生じており、それが成功率低下の原因になっているというものでした。今後はその染色体分配異常の原因を調べることも面白いかもしれません。ここのところ細胞の分化能に関わる研究はiPS細胞の研究が目立っていたので久しぶりに体細胞クローンのニュースを聞いた気がしました。

ところで、研究とは離れた話になりますが、クローン動物といえば一般にはSF的なイメージがつきまとってしまいます。最近カズオ・イシグロの小説「わたしを離さないで」を読みました。設定は近未来ということでしょう、人類のさまざまな病気を治療するための臓器提供を目的としてつくられた体細胞クローンの人たちが、学校で寄宿生活を送りながら臓器提供者としてのマインドコントロールを受け、やがて大人になり臓器提供を何度か行った後に終わりを迎えます。こうしたクローン人間の生活と人と人とのつながり、それから心の中の苦悩がキャシーという主人公の女性の回想を通して描かれています。文章は女性の落ち着いた語り口を使って書いてあるので、淡々と進んでゆきますが透明感のある美しい文章です。最初は現代の普通の女性の回想を通した物語を語っているように感じますが、読み進めていくとところどころに少しずつ不吉な言葉がちりばめられています。それはまるで白い紙に針でつついたようなインクのあとを残してゆくようです。読者はそれ自体は汚れとはなかなか気づきませんが、やがてあるとき濡れた手でこするとそれがインクの汚れであったことに気づきます。こうした手法は、私のお気に入りのジョン・アーヴィングの書き方と共通点があるような気がしました。

私は、読んでいきながら、おそらく最初のインクの点のところで、「もしかしてクローン人間?」とインスピレーションが働いた気がします。研究者としてこうした問題の情報を多く持っているからかもしれません。その後さらに読みながら、「自分ならこういうテーマで小説を書くけどなあ」などと人間の尊厳とかクローン人間を作製した人への罪の糾弾などを心に思い描きながら読み進めていきました。小説は意外とそんな盛り上がりもなく、主人公はひそかにその恋人とともに数年の延命ができるよう試みるものの、それもかなわないと分かると、心に葛藤を抱いたまま静かに運命を受け入れていきます。

読み終わると、私が思い描いていたような派手でSF映画的な展開よりも、かえってこのテーマが心に沁み、深く考えさせられた気がします。イシグロさんは、おそらく、クローン人間を必ずしもテーマにする必要はなかったのです。世の中には、宿命として自分ではどうしても変えられないものに左右されながら人生を送らざるを得ない例はたくさんあります。そうした問題をわかりやすく私たちに提示するためにクローン人間をテーマにしただけなのかもしれないと思いました。この小説を読んでこの作家の文章力と構成力のすごさに感心したのでした。

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