社会性を考える

マウスを使って社会性を調べるテストがあります。オープンフィールドに2個体のマウスを同時に入れて、それらのマウスがどの程度接触したり、匂いをかぎあったり、相手の個体を追いかけたりするか調べるのです。このようなテストを行なうことで、マウスの系統によって社会性に大きな違いがみられます。たとえば、世界中の研究者がよく使うB6という系統、これは相手のことなどあまり気にかけずフィールド内を歩き回ります。一方で、MSMという系統は相手によりそって盛んに匂い嗅ぎをしたりします。あまりにしつこくにおいを嗅いでいるので、見ているこちらも息が詰まりそうになります。(これはたまらんなあ)と。


Social interaction テスト

先日、深夜に放送されていた情熱大陸という番組にナオト・インティライミが取り上げられていました。いまとても人気のある歌手で、なんだか元気の出そうな歌が特徴です。彼は一時期引きこもりになっていたそうですが、その後、音楽やサッカーで人と触れ合いながら世界を旅するうちにエンタテイメントに目覚めたようです。彼は番組の中でモロッコのマラケシュという街を訪れていました。そこは、サハラの民族とヨーロッパに近い街との交易の要所で、現在はサハラの文化の一端が味わえる観光の名所ともなっています。その街で人々と触れ合うインティライミはとても楽しそうで、かつて引きこもりであったことが信じられないほどです。でも考えてみれば、現代の社会で感じる人との希薄な関係が彼にとってはつらかったのかもしれません。彼は、かつて世界を旅した際にもこのマラケシュを訪れていたのだそうです。そのときにも、今回と同じように、人々と楽しくサッカーをして、歌を楽しみ、触れ合いを深めたそうなのですが、その様子を見ながら、私にとってのきつかった旅の記憶がよみがえってきたのです。

1994年の年末に、ふとアフリカを見たいと思い立った私は、ロンドンから長距離列車を乗り継いで、さらにフェリーでジブラルタル海峡を渡りモロッコのタンジェに着いていました。そこで私は正直言うと面食らっていたのです。人がいままで経験したことのないほど近くに寄ってくるのです。安いホテルを探し荷物を置いた私が街中を歩いていると、行きかう人が、すれ違いながら話しかけてきます。
「トーキョー、オーサカー」
「ガイドをするよ」
「これ、買わない?」
など様々です。

2日ほどタンジェに滞在した後、そこで知り合った日本人数名と列車でカサブランカまで行って滞在し、それからバスでフェズを目指しました。カサブランカは、迷宮と呼ばれる入り組んだ町の風景が映画でも使われ有名ですが、実は迷宮ならフェズの方が入り組んだその歴史ある町並みが壮大なのです。


Fesでみられる建物


でもそこでも執拗な人々の勧誘に辟易した私たちは、自分たちだけで歩くことを断念し、結局ホテルの紹介でガイドを雇いフェズの町を歩くことにしました。ガイドがいると他の人が話しかけてくることは途端に少なくなります。それが当地のルールなのかもしれません。でも、ガイドがいなくなり自由に町を歩き始めると、また自由に方向を選ぶのさえ難しくなるほど人が話しかけてくるのです。これはきままに旅をすることが好きな私にはかなり苦痛なものでした。さすがにこのような状況に消耗しきった私は、一人でバスに乗りアトラス山脈を越えてサハラ砂漠の中と思われる町へ行くことにしました。今では町の名前も憶えていませんが、地図を広げて見るとEr Rachidaあたりに行ったと思います。時刻表では、一晩夜行バスに乗ると翌朝には簡単にその町に到着できるはずでした。

夜になりバスターミナルへ行った私は、切符を購入して、随分年代物のバスに乗り込みました。観光地へ向かうわけでもない長距離バスには、現地の大勢の人々が、フェズで購入したものでしょう、たくさんの荷物を車内やルーフに積み込んでいました。車内でも多くの荷物を抱えています。毛布にくるまっている人も多くいます。こうした人たちの誰も私に話しかけてくる人はいませんでしたので、何かホッとした感覚を味わっていました。長距離バスはしばらくして時間がくると発車し、フェズの町を離れていきました。やがてバスはアトラス山脈に入っていきますが、そのころには多くの人々が車内で眠っているようで、もちろん私も眠りについていきました。

夜中に私はふと目を覚ましました。
(寒いっ!) 
また眠りについた私は再び目を覚ましました。
(なんだろうこの寒さは・・・) 
周りをみると皆毛布にくるまっています。バスは、どう見ても断熱がいい加減な薄っぺらいバスで、暖房もありません。そのバスで3千メートルを超えるアトラス山脈超えをしているのです。他の人たちが毛布を持参している意味にようやく気付いたのですがその時には遅すぎました。また眠りにつき何度も寒さにかすかに目を覚ましながらやがて深い眠りについたのです。

「おい、着いたよ。  バスはもう着いてるよ。」
「うん・・・」
乗客も運転手もだれ一人いなくなったバスは、乾いたまだ柔らかな朝日の中でさびれた町のバスターミナルに停車していました。その中で背の低い20歳前後と思われる青年が肩をゆすっているのです。
「もう町に着いてるのか? 寒い!」
明らかに風邪をひいたことが感じられました。このあと24時間以内に熱が上がってくることをその瞬間覚悟しました。このサハラの中でです。
「お茶でも飲むか? 来いよ」

彼はお土産物屋と思われる店に入れてくれました。
やがて熱くて甘いミントティーを持ってきてくれました。
「飲めよ。 あったまるよ。」
「ありがとう。 助かるよ。 寒くて死ぬかと思ったよ」
「うまいだろう?」
「うまい」
(確かにおいしかったのは事実です。状況も状況ですが、モロッコで飲んだ一番おいしかったミントティーは間違いなくこれです)
「・・・・」
「君は優しいな」
「こんなの当り前だよ。 ・・・  サハラが見たいか?」
「ここがサハラだろう?」
「ここはサハラじゃない。サハラはもっと先だ」
「でも僕には十分にサハラだ」
「ペリカンが見たいか? 本物のペリカンだぞ」
「?? ペリカン? ペリカンは興味はあるけど別にここで見たくないよ」
「野生のペリカンだぞ。 ランドゥークルーザーーに乗りたくないか? トヨタだぞ」
(ランドクルーザーはここのステータスなのか・・・。 それにしても風邪の調子が悪くなりそうだなあ)
「別に今回はいいよ。ゆっくり町が見たい。 ミントティーのお代わりをもらってもいいかい?」
「ほら。 おいしいだろ? ・・・ サハラ、80ポンドでどうだ?」
「うまいよ。 高いな。僕には無理だ。そんなにお金を持ってない」
(そういえばこの町に来ているのをおそらく誰も知らないなあ・・・)
「まて、 いくらなら払えるんだ? 言ってみろ」
「30ポンドしかない」
「そりゃあだめだ。 ガソリン代にもならない」
「今日はいいよ。 体調が悪いんだ」
「まて、いくらか言ってみろ」
(ここに来るの誰かに伝えたかなあ・・・)
「40ポンドしか出せないよ」
「よし、いいよ、ここで待っててくれ。40ポンド、先に出してくれ」

やがてこれが運転手だと紹介された背のひょろりと高い青年は、年代物のランドクルーザーを店の前に停めて荷物を積み込みました。
まもなく準備が整うと、その運転手と二人でランドクルーザーに乗り込み、サハラへ向かったのです。決して好んで選んだ旅ではなかったのですが、運転手が無口なことがその時すでに体調を崩していた私にはとても助かりました。

「ここにペリカンがいるから、案内するよ」
乾いた大地の中の湖に案内されました。生き物の姿はどこにもみえません。
「ペリカン、いないみたいだな」
「君は運が悪いな。 いつもはいるんだけどな。 今日はいないみたいだ」
「そうか。 少し残念だ。 ここにいつもいるのか?」
「いつもはたくさんいるよ」
「そうか」

さらにランドクルーザーは砂漠の中の方へと進んでいき、やがて砂丘が広がりオアシスが見られるところへと着いたのです。ところどころにラクダが前足をついてまるで岩のようになって休んでいます。砂漠の中にはつなぐところがないため、前脚の片方をくの字に曲げて縛り、逃げないようにしているのです。
「これがサハラか?」
「ここがサハラだ。このずっと向こうに行くとアルジェリアだ」
「サハラ か・・・」

こうして思いもかけないサハラへの旅が終わったのです。
その後、ここで寝込むわけにはいかないと思った私は、その日のうちに路線バスに乗り込み、アトラスの山の中の町で熱にうなされながら一泊、さらにタンジェからジブラルタル海峡をわたり、スペインで寝台列車に乗り込み1泊、そしてマドリッドのインフォメーションセンターで安ホテルを探し、風邪で寝込むから心配しないでくれとフロントで伝えて、2日間寝込んだのです。この間、必要以上に話しかけられないことが、熱で苦しんでいた中で唯一私にとっては救いだったのです。それはまるで熱のあとにおかゆを味わうような不思議な回復感でもありました。

でも、今思い起こせば、なぜインティライミのように現地の人と溶け込んで触れ合うことができなかったのだろという気もするのです。その時はどうしても無理なことだったのですが・・・



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