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クマバチの飛翔

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庭の藤の花が満開です。 今年は開花し始めてから気温が下がり、肌寒い日が続いたため、満開になるまでにずいぶん日数がかかりました。藤は満開になるとすぐに散りはじめて花が終わるまでの期間が短いので、こうして長く開花途中の花を見れたのはありがたいのかもしれません。近くを通りかかる人も、藤の花を眺めて時々声をかけてくれます。 さて、この時期、藤の花はもちろん美しいのですが、私の楽しみは別にあります。花の蜜を集めにくるクマバチです。朝になると藤の花の周囲がブーンという羽音でうるさいほどです。見るとクマバチが円いからだをホバリングで空中で停止させて、方向をうかがっています。蜜のたくさんある場所を探しているのでしょうか?それとも雄が雌を探しているのでしょうか?クマバチはかつて、そのあまりにも重たいからだゆえに、それを飛翔させることは航空力学的に不可能だといわれていたそうです。ほかの蜂に比べると確かに不思議ですが、私にはカブトムシが飛ぶことのほうが不思議な気がします。クマバチはホバリングで停止しながら周囲を見るために急に方向を変えます。その方向の変え方が何とも言えず愛らしいのです。大きな目をあたかもきょろきょろさせているように、くるっ、くるっ、と素早く方向を変えます。時々他の個体に向かって急に突進して空中で他の個体と並んでホバリングしたりします。 花から花へと飛び回るクマバチ このクマバチは、圧倒的な存在感のあるからだをしていますが、人に襲いかかることはありません。巣が危険にさらされると雌が刺すことはあるそうですが、それでもスズメバチのような危険なものではないそうです。クマバチは忙しそうに、観察している私の姿もお構いなく藤の花から花へと飛び回り花にぶら下がって蜜をすいます。その藤の花の形は、ちょうどクマバチが口を差し込むとはなびらの根本がぴったりくっつくような形状をしています。さぞかし花粉を媒介するにはいいハチなのでしょう。 クマバチが口吻を差し込むと花弁がぴったりと顔にくっつく構造になっています クマバチはただひたすら蜜を吸っては別の花に移り、また吸っては別の花に移るということを繰り返します。休む暇もなく飛び回る様子を見ているとクマバチはとても働き者なようです。ところが、その騒がしい羽音も、午後になると途端に静かになります。午前中はずいぶん騒がしい

調和と自由について考える

動物の中には高度に調和(ちょうわ)した行動をするものがいます。たとえばイワシの群れで泳ぐ様子は圧巻(あっかん)で、その群れ全体が膨(ふく)らんだり縮んだり細くなったり太くなったり、さらには右に左に方向を変えるさまは、闇夜(やみよ)を飛び回るディメンターのようです。捕食(ほしょく)をしようと近づいた大型のサメなどがこのイワシの集団をうまく攻撃できないのもわかる気がします。また、ムクドリの大群も夕暮れの空に飛び回ることがあります。これほど高度に調和した行動でなくても動物はその社会の中にあってそれなりに調和した行動を示します。ニホンザルが群れで行動し、その群れの秩序を乱す個体がボスザルに群れを追い出される例も知られています。 このように、動物はそれぞれの生活する社会に応じて調和した行動を示します。それは、調和を守ることが生存か死に直結する大きな問題だからでしょう。群れを外れたイワシは容易にマグロなどの捕食者につかまり食べられてしまいますし、離れて飛ぶムクドリは猛禽類(もうきんるい)の餌食(えじき)となりかねません。先ほどのニホンザルの群れなどの例では、もっと行動に自由があります。多少群れと離れて行動しようが、多少おかしな行動をしようが、特に問題は生じないでしょう。しかし、それでも自由すぎて群れ社会の中で受け入れられない行動をとると先ほどのように自身にも群れにも害が生じて、追い出される状況になるわけです。このように、社会の中で自身の行動が受け入れられるようにふるまうことは、そこで生きていくための知恵でもあるし、社会が問題なく存続するための仕組みでもあります。 先日、日本の調査捕鯨(ちょうさほげい)が違法であると日本政府がオーストラリア政府に訴えられた訴訟(そしょう)で、国際司法裁判所(ICJ)は、調査捕鯨は科学目的とは言えないとして訴えを認める判決を下しました。2005年から年間最大で1000頭以上の鯨(くじら)を捕獲し、その肉は商業用に利用しているのですから科学目的とは言えないという判決も無理はありません。日本ではマスコミでも日本独自の食文化を守るべきだという記事も目にします。しかし、これには全く説得力がありません。世界ではそれぞれの国にこれまで独自の文化がありました。どれだけ多くの文化が、国際社会の中でそぐわないことで廃れてきたことでしょう。あえて個々の文化を出