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アルジャーノンとチャーリーは幸せだったか

マウスを用いて行動の研究をすることで、どこまで人のモデルになるのか難しい点もあります。なによりも、言語を使わないマウスと高度な言語を使うことで豊かな心をもつようになった人とは大きく異なるでしょう。でも、マウスでも人のモデルとして多くの研究では役にたっています。 私たちはマウスを用いて行動を調べているわけですが、その研究の狙いの一つには、ヒトの精神疾患の原因究明に役立てることや、さらにその治療に役立てることも含まれます。一般の方には少しかけ離れすぎているのでは?とも思われるかもしれませんが、持っている遺伝子のレパートリーがほぼ共通しているマウスとヒトでは見かけほど違っていないとも言えるのです。 こういう研究にたずさわっている身としては、ダニエル・キースの書いた「アルジャーノンに花束を」という小説はとても面白い内容です。フェニルケトン尿症により精神遅滞者となった主人公のチャーリーは、大学で行われる精神遅滞者向けの学習教室に通っていますが、その大学の研究室では、精神遅滞の治療法の開発を進めており、すでにマウスで動物実験を行ってめざましい成果をあげているのです。アルジャーノンというその実験台となったマウスは動物としてはおどろくほど高い学習能力を身に着けているのです。大学の研究者はこの方法を実際にヒトでの臨床実験で試してみたいと考えています。そこで、チャーリーに被験者として白羽の矢がたてられたのです。 手術を受けたチャーリーは日に日に効果が表れて、知能指数も目覚ましく向上していきます。しかし、高い知能を身に着けるにしたがって、これまで親切だと思ってきた周囲の人が自分を馬鹿にしていたことに気づいたり、過去に自分の父親や母親が精神遅滞の自分のために争っていたことを理解したり、必ずしも幸福なことばかりが起きるわけではありません。何よりも、知能指数は驚くほど高くなったにも関わらず、新たな自分としてどのように人とコミュニケーションをとればよいのか分からず、心のバランスはうまく取れないために、苦悩ばかり抱え込む日々が続きます。 そんな中、チャーリーはアルジャーノンが攻撃的になり、知能が衰え始めていることに気づきます。 キースは、このチャーリーが手術前から手術により変化して、さらに最後に向かってまた変わっていく過程を、チャーリー自身が日記で語る手法により表現していま...

ニワトリでよみがえるはるか昔の記憶

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私がまだ小学生の頃の記憶です。実家の庭の一角に鶏小屋をつくり、いつも5羽6羽のニワトリを飼っていました。小学校に上がる前にはすでに父親がニワトリを飼っていたと思います。わたしがまだずいぶん幼かったと思いますが、その時の雄のニワトリはどうしても触ることができませんでした。ごく普通の野鶏(やけい)のようなニワトリでしたが、金網を触ろうものなら手はつつかれ、金網に蹴りを入れてきます。近所の幼馴染(おさななじみ)はつつかれて手から血を出したこともありました。幼心にあまりにも怖くて、しかも痛い思いをずいぶんしたので近づくことさえできませんでした。いまだに私にとって最強のニワトリです。その最強のニワトリはやがていなくなりましたが、どのようにいなくなったのか、もう記憶にさえありません。 その後、飼っているものが比較的おとなしいニワトリになってから、自分で面倒を見るようになりました。それでもニワトリににらまれるとずっと怖さがつきまとっていました。最強のニワトリにつつかれたトラウマです。夜は鶏小屋に入れますが、昼間人がいる時は庭の畑で自由に遊ばせておきます。ニワトリは飛ばないと思う方も多いでしょうが、外で飼育していると結構飛ぶことができるようになります。中には平屋の実家の屋根にいつも上がっているニワトリもいました。 ニワトリの飼育のだいご味は繁殖でした。春先に産んだ卵を抱えるようになると、ひなが生まれてくるのが待ち遠しくなります。学校から帰ってはとり小屋の中をのぞいて様子をみます。毎日覗いていてもなかなかひなは生まれません。しかし、それでもやがて巣の中からひなのか細い笛のような声が聞こえてきます。覗いていると座り込んでいる親鳥のはねの間からひなが顔を出すのがみえています。これがニワトリを飼育しているときの最高の瞬間でした。 先日の1月30日に、広島大学で日本鶏資源開発プロジェクト研究センターと日本型(発)畜産・酪農技術開発センターの合同シンポジウムがあり、「マウスの行動から解き明かす家畜化のしくみ」という題で講演をしてきました。招待してくださったのは都築政起先生でした。都築先生はたくさんのニワトリ品種を維持しておられて、シンポジウムの翌日にはそのセンターでたくさんのニワトリを見学させて頂きました。 長年にわたって人が開発してきたニワトリは面白いものです。長鳴鶏(ながな...

スマホなるものに変えてみた

つい先日、ようやくスマホを購入しました。Xperia Z3です。 スマホが世に出てからずいぶん経ち、すでにスマホの国内シェアは50%を超えていますので、スマホに変えたのは遅すぎるとも言えます。 以前、出張でホテルに宿泊した際に、携帯電話の充電器を忘れてしまいました。フロントに貸し出し用の充電器があると書いてあるので尋ねてみると、「ガラケーの充電器は置いてありません」とのフロントの女性スタッフのつれない返事でした。「ガラケーは差別用語じゃないの?」と内心思いましたが、そこはぐっとこらえてそそくさとコンビニに簡易の充電器を買いに走ったこともありました。 これまであまりスマホは必要ないとも思っていましたが、使い始めてみるとやはり便利です。何より出先で仕事用メールなどの確認が簡単にできます。添付ファイルを開いて確認するのも難しくありません。これまでガラケーでも依存度が高かった新幹線のチケットレス機能も問題なく使えます。カメラの画像も優れているので、デジカメが必要なくなりました。 大画面なので本体が少し大きくて、持ち運びが不便かな?と思っていましたが、胸ポケットに入れて上部が少しはみ出る程度なのでそれほど苦労はしません。思いがけず気に入っているのが電子書籍です。Kindleで試しに太宰治の「人間失格」を読んでみると、片手で苦痛なく読むことができて、文字も読みやすく思います。わたし自身は印刷された本にこだわりがあって、電子書籍は利用したくなかったのですが、少し心がぐらついてきました。 世の中の人たちがLINEで病みつきになっているのがこれまで理解できませんでしたが、これも使ってみるとなかなか面白いものです。即座にリアルタイムでやりとりできるのは新しいコミュニケーションの仕方です。「襖を隔てて隣の部屋の人と会話している」ような感じでしょうか。電子メールとはコンセプトから違って、したがって使い方も異なります。 このブログもスマホからアップできるのでしょうが、今日はまだノートパソコンで入力しています。そういうところはまだ古風です。もう少し使いなれてきたら、スマホからの入力も試してみるかもしれません。 これで充電器を忘れても、ホテルのフロントで「充電器を貸してください」と胸をはってはっきりと言えるようになりました。

いたずら

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我が家の愛犬、チェルシーのいたずらが最近止まりません。 子犬はものを破壊したり汚したりするものですが、だんだん成犬になるに従いいたずらも減ってくるものです。チェルシーの場合も子犬のころスリッパを破壊したり、机の脚を噛んだりなど、かなりのいたずらをしたものですが、最近はそれも減っていました。もう10歳を超えるのですから当たり前ともいえます。しかし、時々物の破壊癖がよびさまされることがあるようです。 黒いチェルシー、寝ている姿はかわいいですが・・・ これまでにも、木でできた置物を噛んで壊したり、さまざまなものを破壊してきました。大切なものを破壊されないように、犬用のおもちゃをあてがいます。通常は少し工夫をするといたずらもやめるのですが、ここのところ続くいたずらには代わりのおもちゃでも効果はあまりなく、どうもそれではお気に召さないようです。 先日は台所から小麦粉を袋ごとリビングに持ち出し、カーペットの上で小麦粉をまき散らかしていました。ずいぶん前にも一度やったことがありますが、部屋の中はまるで映画のベートーベンのような有様です。チェルシーとリーズの2頭いますが、鼻の頭にこびりついた小麦粉から、どちらの仕業か疑いの余地がありません。 それ以外にも古紙回収用にまとめてとっている菓子などの包装紙をわざわざリビングに持ち出して無残に破壊しつくしてしまいました。先日はご丁寧に2階から絵本をとってきて、やはりリビングで破壊していました。それ以外にも木でできた工芸細工のパズルを持ち出して来たり、蠟燭をもってきて破壊したりなどやりたい放題です。先日娘が深夜に台所の照明をつけると、暗闇の中でチェルシーが包装紙の束をじっと見ていたそうです。あわててそこから逃げて行ったそうですが、何かやましいことでもあったのでしょうか? 昨日は少し外出してから家に帰ると、ビニール袋などとともに買い置きしていた詰め替え用インスタントコーヒーの容器がリビングに転がっていました。外側の印刷された光沢紙だけ薄く剥ぎ取る高度な作業をしていました。なかなか器用なものです。 犬もなかなか器用です 動物には遊びがあるのかと思うことがよくあります。もちろんチェルシーもくわえおもちゃを持ってきては遊んでくれと要求します。投げては取ってこさせることをしばらく繰り返すとやがて満足します。こ...

クマバチの飛翔

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庭の藤の花が満開です。 今年は開花し始めてから気温が下がり、肌寒い日が続いたため、満開になるまでにずいぶん日数がかかりました。藤は満開になるとすぐに散りはじめて花が終わるまでの期間が短いので、こうして長く開花途中の花を見れたのはありがたいのかもしれません。近くを通りかかる人も、藤の花を眺めて時々声をかけてくれます。 さて、この時期、藤の花はもちろん美しいのですが、私の楽しみは別にあります。花の蜜を集めにくるクマバチです。朝になると藤の花の周囲がブーンという羽音でうるさいほどです。見るとクマバチが円いからだをホバリングで空中で停止させて、方向をうかがっています。蜜のたくさんある場所を探しているのでしょうか?それとも雄が雌を探しているのでしょうか?クマバチはかつて、そのあまりにも重たいからだゆえに、それを飛翔させることは航空力学的に不可能だといわれていたそうです。ほかの蜂に比べると確かに不思議ですが、私にはカブトムシが飛ぶことのほうが不思議な気がします。クマバチはホバリングで停止しながら周囲を見るために急に方向を変えます。その方向の変え方が何とも言えず愛らしいのです。大きな目をあたかもきょろきょろさせているように、くるっ、くるっ、と素早く方向を変えます。時々他の個体に向かって急に突進して空中で他の個体と並んでホバリングしたりします。 花から花へと飛び回るクマバチ このクマバチは、圧倒的な存在感のあるからだをしていますが、人に襲いかかることはありません。巣が危険にさらされると雌が刺すことはあるそうですが、それでもスズメバチのような危険なものではないそうです。クマバチは忙しそうに、観察している私の姿もお構いなく藤の花から花へと飛び回り花にぶら下がって蜜をすいます。その藤の花の形は、ちょうどクマバチが口を差し込むとはなびらの根本がぴったりくっつくような形状をしています。さぞかし花粉を媒介するにはいいハチなのでしょう。 クマバチが口吻を差し込むと花弁がぴったりと顔にくっつく構造になっています クマバチはただひたすら蜜を吸っては別の花に移り、また吸っては別の花に移るということを繰り返します。休む暇もなく飛び回る様子を見ているとクマバチはとても働き者なようです。ところが、その騒がしい羽音も、午後になると途端に静かになります。午前中はずいぶん騒がしい...

調和と自由について考える

動物の中には高度に調和(ちょうわ)した行動をするものがいます。たとえばイワシの群れで泳ぐ様子は圧巻(あっかん)で、その群れ全体が膨(ふく)らんだり縮んだり細くなったり太くなったり、さらには右に左に方向を変えるさまは、闇夜(やみよ)を飛び回るディメンターのようです。捕食(ほしょく)をしようと近づいた大型のサメなどがこのイワシの集団をうまく攻撃できないのもわかる気がします。また、ムクドリの大群も夕暮れの空に飛び回ることがあります。これほど高度に調和した行動でなくても動物はその社会の中にあってそれなりに調和した行動を示します。ニホンザルが群れで行動し、その群れの秩序を乱す個体がボスザルに群れを追い出される例も知られています。 このように、動物はそれぞれの生活する社会に応じて調和した行動を示します。それは、調和を守ることが生存か死に直結する大きな問題だからでしょう。群れを外れたイワシは容易にマグロなどの捕食者につかまり食べられてしまいますし、離れて飛ぶムクドリは猛禽類(もうきんるい)の餌食(えじき)となりかねません。先ほどのニホンザルの群れなどの例では、もっと行動に自由があります。多少群れと離れて行動しようが、多少おかしな行動をしようが、特に問題は生じないでしょう。しかし、それでも自由すぎて群れ社会の中で受け入れられない行動をとると先ほどのように自身にも群れにも害が生じて、追い出される状況になるわけです。このように、社会の中で自身の行動が受け入れられるようにふるまうことは、そこで生きていくための知恵でもあるし、社会が問題なく存続するための仕組みでもあります。 先日、日本の調査捕鯨(ちょうさほげい)が違法であると日本政府がオーストラリア政府に訴えられた訴訟(そしょう)で、国際司法裁判所(ICJ)は、調査捕鯨は科学目的とは言えないとして訴えを認める判決を下しました。2005年から年間最大で1000頭以上の鯨(くじら)を捕獲し、その肉は商業用に利用しているのですから科学目的とは言えないという判決も無理はありません。日本ではマスコミでも日本独自の食文化を守るべきだという記事も目にします。しかし、これには全く説得力がありません。世界ではそれぞれの国にこれまで独自の文化がありました。どれだけ多くの文化が、国際社会の中でそぐわないことで廃れてきたことでしょう。あえて個々の文化を出...

記憶のテストをしている場合か?

マウスを使って記憶能力(きおくのうりょく)を調べるテストは数多く開発されています。中には、乳白色の水を張った円形のプールの中にマウスを入れ、見えないように沈めた足をついて休むためのプラットホームを探すまでの時間を調べるようなテストもあります。空間記憶が正常に働いていれば、テストするたびに水の中のプラットホームを探すまでの時間は短くなるというものです。 もう少し簡単にできるテストにY迷路(めいろ)テストというものがあります。最近私たちの研究室でも試してみました。ちょうど迷路間の角度がいずれも120度になるように設計された3つのアーム部分を持つ迷路です。アームのそれぞれを1番、2番、3番とします。1番のアーム部分にまずマウスを入れて、そこに馴らします。その後2番と3番のアーム部分に自由に行くことができるようにします。マウスは一度探索(たんさく)したアームよりも新しいアームを探索することを好むので、次に2番のアームに入ったマウスをそのあと3番のアームに入ることが多くなります。繰り返し何度も2番のアームに入るようだと、その記憶に何らかの異常が生じているかもしれないというわけです。 記憶といえば、マウスの試験結果をあまり面白がっている場合でもありません。 先日のゴードンカンファレンスからの帰りの飛行機では、カンファレンスに日本から参加されていた方と偶然(ぐうぜん)座席が隣り合せになりました。アメリカの航空会社の飛行機の最後尾の席でした。乗り込んだ際に、長い飛行中にどの映画を見るかという話になりました。あまり面白い映画がリストにないということで意見がほぼ一致していたのですが、私が往路でみた邦画(ほうが)で面白いと思ったものがあることを思い出しました。 「陽だまりの彼女」という映画でしたが、ピュアなストーリーで見終わった後もすがすがしく感じる映画でした。「この映画はなかなか面白かったですよ。帰りにもう一度見てもいいかなと思うくらいです」とすすめてみました。その後彼は、飛行中にその映画を見ていていました。 成田空港に着陸した際に映画の話になり、「陽だまりの彼女 を観ましたよ。途中までですけど2度も見ちゃいました。よかったですね」  私も気分がよくなり「そうでしょう。なかなかいいですよね」と返事をしました。その後、役者の話になりました。「女優は誰ですか?」と聞...