坊っちゃん

今朝(2012年9月16日)の朝日新聞の天声人語で夏目漱石の「坊っちゃん」の一文が紹介されていました。漱石の小説を読むといつもその文章の巧みさに感心するのですが、ここでもやはり光るものがあります。四国の松山に教師として赴任してきた彼が、ある日宿直の部屋が西日で暑いことに対して「田舎だけあって秋がきても、気長に暑いもんだ」というのです。天声人語は、この文章を残暑や自然災害への備えに続けるための導入に用いているのですが、今回は「坊っちゃん」自身について少し考えてみました。

数年前になりますが、やはり朝日新聞で丸山才一氏が[袖のボタン「坊っちゃん」100年]というコラムを書いていました。その中で「松山の人はこうまで坊ちゃんに馬鹿にされていったいどうしてここまで寛大なのか?」ということを述べられていました。私は出身が愛媛の田舎町ですし、松山にも住んだことがあるので、どちらかというとと言われる当事者に近いかもしれません。これと同じような疑問は耳にしたこともありますし、松山に住んでいる際に話題になったこともあります。

「坊っちゃん」を読んでみると、なるほどひどい言われようなのですが、松山に縁のある人間でも不思議と腹が立たないでしょう。これはなぜなのでしょうか?


市内から見上げる松山城

坊っちゃんは小説の中で、父と兄に嫌われ母親にも死ぬ直前に愛想をつかされるほどの滅茶苦茶な人物像を自身で語っています。そのような世間知らずの言動が特に改善される事も無く教師の職を得て松山にやってくることになるのです。松山に来ても言いたい放題なのですが、そこはあくまでも世間知らずのお坊ちゃんの言うことであり、軽く受け流すことが出来ます。これが、成熟した大人の石川啄木が小樽を「かなしきは小樽の町よ 歌ふことなき人人の声の荒さよ」と詠んで、いまだに市民が微妙な受け止め方をしていることとの大きな違いです。実際、松山では小説「坊っちゃん」にまつわるものが市内にあふれているのに対して、小樽では啄木のゆかりの地であるにも関わらず当初歌碑さえなかなかつくられなかったそうなのですから。

それでも、松山の人が坊っちゃんを愛する理由はそれだけでは不十分です。読み進むうちに、坊っちゃんの言動もまんざら間違っているとは言い切れないことに気づきます。その気持ちの裏には「兎角この世は住みにくい」と漱石が「草枕」の中で表現する日本の世の中に対して、まっすぐな視線で正面きって自分をぶつけた主人公が、松山の地にさわやかな風を残して去っていったことに対する賞賛があるのではないかと思います。おそらくこれは「坊っちゃん」の読者がみな共通して持つ感情ではないかと思うのです。知らず知らずのうちに、松山の人も坊っちゃんの唯一の理解者であった下女の清と同じように坊っちゃんを愛するようになったのではないかと思えてくるのです。

この話し、明治時代の遠い昔の話しとは全く思えません。

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