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モン、しあわせかい?

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動物の行動や性格は、遺伝と環境の両方が関わっているといわれています。私たちが研究で用いているマウスでも、遺伝による影響と環境による影響の両方が重要な役割を果たしていることをこれまでに示してきました。 モンがわが家にやってきて2週間がたちました。最初は見慣れない環境の中で不安そうにしていました。わたしたち家族のものが少しでも動くと即座に立ち上がり、不安そうにこちらを見ていました。他の部屋へ行こうとすれば、「どこへいくのですか?」とでもいいたそうな顔をしていました。しかし、1週間一緒に生活をすると顔つきも随分穏やかになり、日がたつにしたがって顔から緊張の色が消えていきました。2週目に入ると、もともとモンが持っている性格や行動がよりはっきりと見られるようになってきました。 モンはもともと鳥猟犬だったようで、他の犬と一緒に山に捨てられてやせ細っていたところを保護されました。その後、そうした保護された狩猟犬を受け入れて家庭犬になれるように体調管理やしつけをしつつ里親を探す活動をしている団体(CACI)を通してわが家にやってきました。つまり、それ以外はモンがこれまでどのような生活をしていたのか分からないのです。腹部に一発の散弾銃の玉が入っていること、最終的には山に捨てられていたことから、ひどい扱いを受けていたのではないかと思います。そう思うと、なおさらモンにしっかりと愛情を注ぎたいと思います。 部屋の中で身体を撫でてやるととても安心できるようです。いつまでも撫でてほしいようで、やめるともっと撫でてほしそうなそぶりを見せます。でも、近づきすぎると少し距離を取ろうとします。本来、とても人なつこい性格なのですが、扱いが少し違っていたのでしょう。外でも家の中でも呼び戻しはとてもよくできます。̪̪口笛で呼び戻しが簡単にできるので、もともとの飼い主が口笛で呼び戻しをしていたのかもしれません。座ることもよくできますが、待つことはあまり得意ではありません。それでもトレーニングを繰り返すうちにだいぶできるようになってきました。コマンドに従って伏せることは全く経験がなさそうです。そもそも伏せることがあまり好きではないのか、なかなか覚えるのは難しそうです。散歩は基本的に自由に歩きたいようです。人の横について歩くトレーニングは受けていないようです。なぜだかわかりませんが、毎日夕方になるとと...

モンがやってきた

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ついにわが家に新しいワンちゃんがやってきました。 チェルシーがいなくなってちょうど3か月、チェルシーじゃなきゃこの心の寂しさは癒されないだろうと思っていましたが、だんだん新しいワンちゃんを迎えたい気持ちが強くなってきていました。今回は、捨てられて?飼い主がいなくなっていた犬を保護して里親を探す活動をされている団体の方たちからワンちゃんをわが家に迎えることになりました。新たに家族となったワンちゃんは6歳程度、立派な大人のワンちゃんです。おそらくこれまでにさまざまな経験をしてきたでしょう。捨てられて、保護された際にはとてもやつれていたということなので、さぞかし苦しい思いをしたこともあるでしょう。うちに来てからまだ少し不安そうにも見えてくつろいでいるようには見えません。私たちが別の部屋へ行くことがとても不安そうです。それでも昨日よりは随分落ち着いてきました。少しでも早くここが安心できる場所でずっといることができるんだと分かってくれることを願っています。 名前はモンちゃん、きれいな顔で、横顔はなんだかネバーエンディングストーリーのようです。 これからよろしく モン!

動物の飼育の仕方で個性は変わるでしょうか

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行動遺伝学では、性格や行動には遺伝と環境の両方が重要な役割を果たしているといわれています。大雑把にいうと、ほぼ半分は遺伝で残り半分は環境が関わっているといわれているのです。 しかし、これは集団全体を見た時の割合であって、それぞれの個体で必ずしも遺伝と環境が半々というわけではありません。たとえば、いつも多くの天敵が存在する厳しい生存競争の中で生活している動物は、周囲を常に警戒する臆病(おくびょう)な性格になるでしょうし、まったく天敵のいない楽園のような場所で生活する動物はおっとりした動物になるでしょう。こうした集団間での違いは生息している環境が性格に大きく影響したから生じたと言えるでしょう。 一方、家畜の飼育施設、たとえば養鶏場のような均一の飼育施設内で飼育されているニワトリでさえも顕著な個体差、性格の違いがみられることが一般的です。このような性格の個体差はもともと持っている遺伝的な違いが個体差を生み出したと考えられます。 このように、環境が均一だとより遺伝の影響が顕著に見えてきますし、環境が大きく異なれば遺伝よりも環境の影響がより強調されるでしょう。 私の家で飼育しているアカミミガメは、すでに10歳をはるかに超えていますが、まだまだ元気です。ここ数年は水槽を洗う際に庭に離すと私の周囲にまとわりついてきます。さらに甲羅から出した首の下を撫でると気持ちよさそうにしています。おそらくこの飼育環境うが我が家のアカミミガメを慣れた性格にしたのかもしれません。 チェルシーが旅立ってから3か月近くたとうとしています。家族でもそろそろ新しいイヌを家に迎えようかという話をしています。今回は保護施設に入っているワンちゃんを引き受けて里親になろうかと考えていますが、そういう場合はこれまでの「環境要因」は全く分かりません。さて、どのようになるか行動遺伝学者として楽しみです。

チェルシー!

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またまた長い期間、更新をせずに過ごしてしまいました。 他の人にそのことを指摘されると、何か時間がないことを言い訳にして逃げています。でも実際には時間がないということはなくて、少し考えるのが億劫(おっくう)になっているのだと思います。こんな記事でもいざ書こうとなるとああでもない、こうでもないと考えてしまいます。そういう気持ちのゆとり、というよりも気持ちの遊びの部分が必要だと反省しています。 一年と少し前に愛犬のリーズが去ってしまいました。それからちょうど一年後にチェルシーが去ってしまいました。チェルシーは15歳を目前にして旅立ったことになります。リーズもチェルシーも娘の春休みの期間中に死んでしまったのですが、おかげでその前後には娘たちも帰ってきてそばにいることができました。なんて家族思いの愛犬たちでしょう。 チェルシーは5カ月ほど病気で病院での治療(ちりょう)を受けていましたが、それでも何かと元気に過ごしていました。私はその間、夜はチェルシーと一緒に寝るようになりました。でもさすがに病には勝てずあるときから食事ができなくなりました。 食事がとれなくなってから二週間ほど家族が看病(かんびょう)のためつきそう日が続きました。チェルシーの身体がまだ元気で歩き回るうちは私も気持ちが楽でしたし、むしろずっと一緒にいるのを楽しく感じていたかもしれません。でもチェルシーが寝たきりになると、いろいろと命について考えてしまいました。 前回リーズの死について書いた際に、多くのペットの死と向き合ってきたことに触れました。でも今回はほぼ15年間全力で私と生活を共にしてくれたチェルシーの死であっただけに、その死と向き合うことは重いものでした。しかも2週間以上寝たきりになった状態での看病です。なんとなく自分の何かを一緒に徐々に失っていくような思いをしながら過ごした日々でした。 愛犬は全力で飼っている人に尽くします。一緒にいる、少なくとも起きている間は、私の注意をなんとか引き付けようとします。その愛犬がいなくなるときはなんと重いものでしょう。最後の瞬間はまだ大丈夫だろうと仕事に出た間に逝ってしまいました。娘がその時をしっかりとみてくれました。娘にも感謝です。 1か月半以上たった今、ようやくあらためて書くことができました。 チェルシーは今もどこかで投げたフリスビ...

ベタのいる風景

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最近、趣味で熱帯魚のベタを飼いはじめました。 子供の頃熱帯魚の飼育に夢中になり、いろいろな魚を飼育していました。中でもキーホールフィッシュやグーラミ―が好きで大きめの水槽に少ない魚を飼育するのが好きでした。水槽の中を泳いでいる魚を見ていると飽きることなく見入ってしまうのです。 ベタは闘魚としてしられていますが、その品種は観賞用のものから闘魚用のものまでさまざまなものが開発され、遺伝学的にも興味深い対象です。ベタは多くのものが泡巣をつくって繁殖しますが、グーラミ―も同様の泡巣をつくるので、繁殖の仕方が似ています。 また、ベタはラビリンス器官というものを持つので水槽にエアーポンプがなくても飼育できるのが特徴です。 新しくやってきたベタ デスクの横にいるベタはこちらの動きに反応してはさまざまなしぐさを見せてくれます。多くが餌を要求している動きですが、それだけでもなさそうです。 観察していくと面白そうです。

ペットをおくるとき

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私が子供の頃から随分多くの動物をペットにしてきました。ニワトリ、小鳥、ウズラ、魚、犬、カメ、そしてヤギもいました。 ヤギはすでにおとなになった雄でしたが、一年弱飼育していたように思います。小学校から帰ると散歩に連れて田畑の近くに出ていましたが、散歩の途中でたくさんの糞をばらまくのに困った記憶があります。困った記憶はあるものの、糞を片付けた記憶はないので、そのままにしていたのでしょう。夏休みには絵日記にヤギの散歩について書いた記憶があります。理由は分かりませんが、一年もたたないうちにそのヤギは同じ村の中の別に家にもらわれていきました。今では理由も分かるような気がします。散歩で糞をばらまくのに近所から苦情が出たか、餌を食べるだけで何にも役に立たないために私のペットというだけではあまりにもコストがかかりすぎたのかもしれません。その後、何度かもらわれていった家に遊びに行ってヤギを相手に遊んだことを思い出します。 ペットを多数飼うことは、それだけペットとの別れも経験することです。ヤギとの別れはまだほほえましいものですが、他はすべて最後は死んでしまいました。事故で死んだこともあれば、病気で死んだこともあります。獣に襲われたこともあります。それだけ多くのペットの死を目にしてきたことになります。中でも犬の死はいつもつらいものでした。 先日、我が家の愛犬の一頭、リーズが死んでしまいました。15歳と4カ月生きたことになります。15年間以上私たち家族を癒してくれた後に訪れた死でした。 イングリッシュコッカースパニエルのリーズは生まれてまだ幼い時に我が家にやってきました。幼い娘二人の遊び相手にいいと思ったのですが、ある意味子供が3人になったようなものだったかもしれません。なんとかかわいらしい名前を付けようとする娘二人に対して、サッカーにちなんだ名前を付けようとした私が、イングランドの当時プレミアリーグでプレーしていたチーム名を思い出して提案した名前がリーズ(ユナイテッド)でした。音の良さから満場一致で受け入れられ、家族も私もハッピーでした。 それから15年間、一年半後にやってきたチェルシーと共に、我が家を和ませる存在でした。娘達の成長と共に犬の成長と老化を一緒に見てきました。家族の写真にもいつも犬たちが入ってきました。 犬を飼うと、生活にさま...

人に慣れるカメ

最近、どのような動物が家畜化に成功してきたか興味があり、いろいろと考えることが多くあります。野生の動物がたくさんいる中で、これまで家畜化に成功した動物は非常に少ないことが知られているのです。 家畜というと、もちろん思いうかぶのは、ウシ、ブタ、ヤギ、ヒツジなどです。大型哺乳類で家畜化に成功しているのはわずかに十数種類です。限られた動物しか家畜化されていないのです。 しかし、中型や小型の哺乳類も含めるともっと多くなります。ただし、小型の動物では、家畜というよりもペットとして飼育されている動物が多くなります。マウスやハムスターなどがいい例でしょう。さらに、哺乳類以外の動物も含めるとけっこういろいろな動物がペットになっています。 以前、人に慣れたカルガモについて紹介しました。今日はカメについて紹介します。我が家のカメ子については3年ほど前にもこのブログで紹介しました。ミドリガメがなんだか大きくなって困っていると。。。あれから3年たちました。この1年ほど、カメ子にみられるある変化に気づいてきました。 夏場は水の汚れがひどいため、毎週一度は水替えをして水槽を洗う必要があります。これまで、水替えの間に逃げてしまうといけないので、カメ子をバケツに入れてから、水槽などを洗う作業をしていました。カメ子を庭の芝生の上に放すこともあるのですが、そうするとすぐに遠くに行ってしまっていました。どこにいるか分かればいいのですが、植物の茂みなどに隠れると探すのも難しくなるので、やむを得ずバケツにいれていたのです。 昨年頃から、カメ子を芝生に放しても、私の近くをうろついているような気がなんとなくしていました。それでも、適当に歩いているうちに、私の足元に来てしまったのだろうと思っていました。ところが、どうもそうではないようなのです。私が水槽を洗う作業をする場所から離れたところにおいても、まず私がかがんで作業をしている足元に真っ先に寄ってきます。水槽がなくてもよってきます。試しにただ、かがんでいるだけでも私の足元によってきます。自分から寄ってくるようになったのです。 これまで、ずいぶん水槽を洗ってきました。カメ子もようやく私に感謝の気持ちを持ってくれるようになったのかもしれません。 先日、父の一周忌で愛媛の実家に行きました。無事に行事が終わって来てくださった方たちとお酒を飲み...